【相模原殺傷】差別の源流<全3回・上>「素直な子」だった被告、偏見の原点とは

記者と接見する植松被告

 神奈川県立知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件の裁判員裁判で、殺人などの罪で起訴された元職員植松聖被告(30)は、障害者への変わらぬ差別意識を述べ連ねた。凶行に至ったゆがんだ価値観はなぜ芽生え、どのように膨らんだのか。16日の判決を前に、審理で明かされた友人、元同僚、鑑定医らの証言を基に、被告が抱く差別の源流を生い立ちから探った。

 高尾山を東に仰ぎ、相模湖を抱える自然豊かな山あいの小さな集落――相模原市緑区の千木良(ちぎら)地区。被告が幼少期から過ごした地域の中心に、やまゆり園は立つ。

 父親は小学校教諭、母親は漫画家。被告は経済的に恵まれた家庭の一人っ子として不自由なく育った。就学前に発育や発達の遅れはなく、両親にとっては「素直で手の掛からない子」。忘れ物が多く、こだわりが強かったものの、多くのペットをかわいがり、周囲とのコミュニケーションに大きな問題はなかった。

◆差別発言「聞いたことがない」

 小・中は地元の公立学校に通った。勉強はやや苦手で「中の下」。

 明るく、人懐っこい性格だった。中学時代には飲酒や喫煙、万引などをしたこともあったが、「反抗期のごく普通の子」と両親は捉えていた。

 被告の同級生と1学年下に知的や精神障害のある子どもが1人ずついたが、法廷で読み上げられた友人らの供述調書には被告の差別的な言動についての証言は見当たらない。

 「園が近くにあり、障害者は誰にとっても身近な存在だった」「被告から障害者への偏見や差別的な発言は聞いたことがない」

◆同い年の障害児「駄目なやつ」

 しかし、公判では被告が当時から障害者への偏見を抱いていたことをうかがわせるエピソードも明らかにされた。

 被告は小学校低学年の時に「障害者はいらない」という内容の作文を書いていた。詳細は不明だが、いつもコメントを書いてくれる教師が、この時は何も書いてくれなかった。

 高学年の時には、声を上げて走り回ったり、暴れたりする同い年の障害児を見て「親や先生が大変だと思った」。中学の時には、年下の障害児に階段から突き落とされた友人が前歯を折る出来事があった。「駄目なやつ」。被告はその障害児の腹部を殴ったという。

 「今振り返れば、あれが(自分の考えの)原点というか、芽になっているのかもしれない」。記者との接見ではそう振り返った。

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