仙台一高から東大に現役合格した関戸悠真さん 野球と勉強の“共通点”は?

東京大学に合格した仙台一高・関戸悠真【写真:高橋昌江】

関戸さんは東大理科2類に合格、硬式野球部からの現役合格は「ここ数十年はいません」

 仙台一(宮城)の関戸悠真外野手が現役で東大に合格した。2年秋と3年春はベンチ入りしたものの最後の夏は背番号に届かず。部活引退後に成績をグンと伸ばし、昨年11月から東大を志望。「目標までの差を縮めていくというのは野球も勉強も一緒」と、サクラを咲かせた。

 自宅のリビングでパソコンを開き、インターネットで東大理科2類の合格を確認した。「正直、今年は厳しいかなという気持ちもありました。『あぁ、ラッキー』という感じでした」と関戸。今年、仙台一から東大に合格したのは4人で、現役ではただ一人の合格者だ。硬式野球部から現役で東大に受かったのも「昔はいると思いますが、少なくてもここ数十年はいません」とOBの千葉厚監督。久しぶりの快挙を達成した。

 関戸は名取一中で野球をはじめ、仙台一に進学した。中学3年の9月に訪れた文化祭の「壱高祭」で、男子校の名残がある自由度の高い校風に魅了された。部活はラグビー部も見学したが、野球を続ける道を選択した。2年秋に背番号19でベンチ入りすると、攻撃のサインを出す役割を担った。千葉監督は「うちの学校は選手がサインを出して、選手が動くという構図の方がいいなと思っているんです。ミーティングも選手たちでやりますしね」と話す。2017年から選手がサインを出すようにしている同校で、関戸はその2代目として大事な役割を任された。

 2年冬が明けると打球の飛距離が伸び、3年春は三塁ベースコーチとして奮闘した。しかし、最後の夏は背番号を手にすることができず、ボールボーイとしてゲームセットを迎えた。「練習試合で結果を残せなかったので仕方ないと思いますが、すごく悔しかったですね」。公立の進学校で40人を越える部員の競争には勝てなかった。

 7月に部活を引退すると、国公立大を目指す勉強に本腰を入れた。部活をしていた時の勉強時間は「ほとんどゼロ」だったと言うが、夏休みや休日は1日10時間ほど、机に向かう日もあった。「量はそうでもないと思いますが、質は高かったかなと思います」と振り返る関戸の勉強法は30分ごとに教科を変える、というもの。「数学30分、漢文30分、数学30分、漢文30分のように集中力を30分区切りで保たせながら勉強しました。それがよかったのかな」と振り返る。1日に行うのは2、3教科。ゲームやユーチューブで息抜きもしつつ、集中することを何よりも大切にして実力を上げていった。

 また、秋には東進衛星予備校に入り、「いつやるか? 今でしょ」でおなじみの林修氏の現代文や、サングラスにポニーテールの苑田尚之氏の物理などを受講した。

「林先生は本当に論理的。現代文の解説は『これはこの問題を作った人の主観じゃん』となることがあると思うんですけど、林先生は客観的に『こう考えたらこうなるな』というのを積み重ねて回答を出す感じ。本当にすごいなと思いましたね。この問題を林先生が解説したらこういうことを言うんじゃないかなと自分の頭で考えて解いていました。物理の苑田先生はレベルが高すぎて、最初は何を言っているのか分からなかったんです。でも、『1個1個やっていけば物理なんて簡単なんだよ』といった言葉によって、物理って結構、簡単なんじゃないかなって勘違いできるくらいまでできるようになったと思います」

「目標と現状の差をどう埋めるか、野球も勉強も共通している」

 こうして順調に成績を伸ばしていた関戸だったが、1つの壁に当たった。志望する大学の学部学科を決定できなかったのだ。物理が好きで工学系に進みたいとは思っていたが、工学部の学科に迷った。そこで、3、4年生で進学する学部・学科を決められる進学選択制度がある東大を考え始めた。志望校を東大にしたと聞いた千葉監督は驚いたというが…。

「でも、確かに関戸の成績は伸びてきていたんですよ。それまではほとんど上位ではなかったのですが、秋くらいから随分と上位になってきているな、と。関戸だけではなく、硬式野球部の子たちみんなが伸びていたのですが、それにしても、関戸だけ異常な伸び方でしたね」

 信じられないような右肩上がりの成績の伸びを見せる曲線のことを、仙台一では“一高曲線”と言うのだそうだ。関戸は「部活後に勉強に力を入れて、グイッとくるのを“一高曲線を描く”というんです」と補足してくれた。試験本番では得意の物理でミスしてしまったが、数学や国語で挽回。“一高曲線”の伝統をつなぎ、合格発表では学校の先生たちを驚かせた。

「達成したい目標と、自分の現状の間にある差をどう埋めていくかという過程が、野球も勉強も共通しているなと思っています。目標に到達するためには、まずは自分の立ち位置を把握し、作戦を立て、いろいろとやり方を工夫しながらどんどんその差を詰めていく。そして、勉強だったら模試、野球だったら練習試合などで自分の立ち位置を確認しながら試行錯誤を繰り返し、目標までの差を縮めていく。それは野球も勉強も一緒だなと思います」

 だから、高校野球にはちょっと悔いが残っている。最後の夏にベンチ入りがかなわず、「もうちょっと日々に目標を持って過ごすということを徹底すれば成長できたかもしれない」と―。

硬式野球部では「芸人班」に、東大では「ラグビーをやってみたい」

 夏まで部活動中心の生活ながら、こうした思考を持って東大に現役で合格。それも、志望してから3か月ほどで、だ。さぞかしガリ勉で生真面目な性格なのだろうと思っていたが、千葉監督の「面白い子なんです」の言葉通りの人間だった。関戸は取材に、センター試験の時に着用した元号「令和」が左胸にプリントされたパーカーで登場。写真撮影用に参考書をお願いしていたら、ボロボロの単語帳のみならず、小学6年時に使っていた算数のドリルまで持ってきていた。仙台一の硬式野球部には「芸人班」があり、関戸もその一員だったそうだが、こんな日までネタを仕込んでくるとは…。

 中学3年の秋、仙台一の文化祭を見て「自分は“バカなこと”をするのがすごく好き。この学校だったら本気で“バカなこと”ができるんじゃないかなと思ったのが最大の決め手」と進学を決意。練習試合後に相手校を見送る時、一発芸やショートコント、漫才などをする芸人班に選ばれた時は「運がよかった」と喜んだという。文化祭ではトリオ漫才も披露。千葉監督の世界史の授業では、フランス革命のところで「フランス国歌を歌ってみて」と当てられ、「こんな感じかな?」と自作の“フランス国歌”を熱唱してクラスを爆笑させた。

「関戸は『わかりません』と言わないんですよ。絶対に面白い回答を返してくる。正解ではなくても、面白い回答を必死に絞り出すんです。見当違いだけど、『わかりません』とは言わない。芸人班でやるネタも想像力が豊かじゃないとできません。どうしたら面白いか、構成も考えないといけない。(時事ネタが入ることもあるため)聞いている方も世の中に敏感じゃないと笑えません。すごくレベルが高いんですよ。テレビで話題になっているものをピンポイントでぶち込んできますから」(千葉監督)

 1892年に宮城県尋常中学校として開校した仙台一。校訓「自重献身」、標語「自発能動」のもと、自由な校風で生徒の自主性を重んじてきた。個性豊かな生徒の中で、関戸のキャラクターも磨かれていったのだろう。

 野球は高校で一区切りをつけ、大学では「ラグビーをやってみたい」と希望する。勉強に関しては「ワクワクしています。周りの人たちもレベルが高いでしょうから、人生で一番勉強する勢いで頑張りたいですね。大学に入ってからも勉強を頑張らないと、進路の振り分けで希望の学部学科に行けなくなってしまうので」と気を引き締める。野球と勉強で培った目標に向かっていく力、ふざけるとは異なる“バカなこと”に本気で取り組める力を強みに、東大でさらなる可能性を広げていく。(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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