特集は、駄菓子の定番「麦チョコ」です。素朴な味わいで人気のお菓子ですが、実は長野県御代田町と深い関わりがあり、新しい名物にしようと町をあげてPRに乗り出しています。
「昭和」から変わらぬ味で根強い人気を誇る「麦チョコ」。歴史を辿ると意外な発見がありました。
(記者リポート)
「おいしい、食べだすと止まらない。こちらの麦チョコ、実は御代田町にある工場でつくられています」
町民は…。
60代:
「おいしいですよね、軽くて。パフっぽくて」
50代:
「(Q.工場があるのは)知っています、レーマンさん?大好きです」
多くの町民が知る菓子メーカー「レーマン」の工場。レーマンの麦チョコはここで作られ、全国へ出荷されています。特別に製造過程を撮影させてもらいました。
麦を膨らませた「麦パフ」。いわゆるポン菓子です。それに溶かしたチョコレートを注ぎ、窯を回して混ぜていきます。窯を止めたり冷たい風を送ったりする、微妙な調整は全て手作業です。
レーマン軽井沢工場・芳賀俊哉工場長:
「温めたり冷やしたりを繰り返すことで、形をきれいに丸く整えて、つやを出す準備を」
この工程を何度か繰り返し、形が整えば完成。丁寧にチョコでコーティングすると、このような光沢が出るんだそうです。
レーマン軽井沢工場・芳賀俊哉工場長:
「手作業で全て丁寧に作っているというところと食感、見た目のつやというところでおいしさを出している」
レーマンの麦チョコ。パッケージには「麦チョコレートのパイオニア」と書かれています。実は…。
レーマン軽井沢工場・芳賀俊哉工場長:
「麦チョコを大量に生産して流通させたパイオニアということで、御代田町で始まったということを言わせてもらっている」
レーマンの創業は戦後まもない昭和23年。その後、ミルクチョコレートの本場スイスに似た「湿度が低くさわやかな気候」という条件から、御代田町に工場を建設。昭和36年、麦チョコの製造が始まり、全国各地へ出荷されていきました。
麦チョコの発祥は諸説ありますが、レーマンはこの工場から昭和の定番おやつ「麦チョコ」が世に広まったとしています。
これには町民も…。
19歳:
「(パイオニアと)書いてあるんですね、そこまでは知らなかった」
50代:
「そうなんですね、全然知らなかった」
工場や麦チョコは認知されていますが、このエピソードまでを知る町民は少ないようです。
一方、町役場は、去年からこのエピソードで御代田を盛り上げようとPRに乗り出しています。
旗振り役は小園拓志町長。北海道出身で去年2月に就任するまでは、レーマンの麦チョコをあまり食べたことがなったということですが、今は大ファンです。
御代田町・小園拓志町長:
「こっちの方が味は高級感があるんですよ、カカオの味がしっかりしていて。普通の麦チョコと全然違う。この体型だから、いつもいつも食べるわけにはいかないから、月1か2度ほど(食べる)。本当にすぐ1袋なくなる」
町は、レーマンに協力を取りつけ去年10月、麦チョコをふるさと納税の返礼品に追加。1万円の寄付に12袋を贈っています。町内のイベントでも積極的に販売しています。
御代田町・小園拓志町長:
「町の産業を役場として盛り上げていくときに欠かせないのかなと。まだまだ盛り上げの1、2パーセントしかいってないと思うのでこれからだと思う」
取り組みは始まったばかり。工場の「お膝元」ですが、実は町内でレーマンの麦チョコを売る店は多くありません。数少ない販売店の一つが、工場の前にあるコンビニ。
記者:
「ありました、レーマンの麦チョコです」
オーナーの計らいで、こちらの店舗でのみ取り扱っているということです。
他に町内の博物館では限定バッチ付きの麦チョコの販売を始めました。町は販売店をもっと増やしたい考えです。
御代田町・小園拓志町長:
「麦チョコ自体が地味じゃないですか、どちらかというと。それがいいなと。地味な御代田町にあっているなと。麦チョコ=御代田町ということが伝わっていくようにしていきたい」
知られざる歴史を持っていた麦チョコ。「新たな名物に」と工場の地元で熱い視線を浴びてます。