さようならの春

 グッドバイの「グッド」はもともと「ゴッド(神)」で、この別れのあいさつには「神はなんじとともに」という祈りが込められているらしい。日本語の「さようなら」はどうかと言えば「左様(さよう)ならば」に由来する▲そうであるならば。そうでなくてはいけないのならば。目の前のことを、あるがままに受け止めようとする言葉にも思える。祈りの「グッドバイ」と「さようなら」、元の意味をたどれば、二つはずいぶん印象が違う▲社会全体がいま、そうであるならば。「さようなら」がことの外、胸に染みる春かもしれない。県内の多くの中学校できのう卒業式があった。本紙の地方版では、例年とは違った門出を伝えている▲新型ウイルスの影響で、3月に入ってから休校が続いている。きのうの式は在校生が出なかったり、時間を短くしたりと、ウイルス対策を優先して開かれた▲式では合唱もなく、あらかじめ録音していた卒業生の歌声を校舎のスピーカーから流し、送り出した学校がある。2月末、休校前の「最後の1日」に、在校生が「蛍の光」の歌を贈った学校もある▲「左様ならば」と卒業生に思いを届けた別れの場面は、分かれ道で手を振り合った人たちの心に刻まれるだろう。ただ寂しいばかりではない。時としてほの温かい「さようなら」もある。(徹)

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