【やまぐち深発見紀行】 No.185「大内・菅内にもあった大内文化伝える五重塔」

▲仁平寺跡の説明看板

 山口市内で五重塔といえば瑠璃光寺五重塔だが、菅内に建立された天台宗の寺院「仁平寺」にもかつては五重塔があった。

  

  

 仁平元(1151)年創建で、年号を寺号とした天台宗の寺院仁平寺。「大内村史」に「地下上申によると大内弘世の時代に京師叡山を仁平寺に勧請して麓に八王字の森、仁王門、弁才天、丈六の地蔵、五重の塔を建立した」とある。さらに「仁平寺本堂供養日記」が存在し、豪華絢爛な舞楽舞踊も行われていたという。

 しかし、江戸時代中期には荒廃。明治3(1870)年、禅昌寺(下小鯖)に引き取られ、約500メートル東に場所を移して曹洞宗・仁平寺として現存する。現在、旧仁平寺跡地に建物はないが、楼門の柱は雲谷庵(天花)を支える柱として今に残る。

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