「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」が公開。15歳の少女が伝える“沖縄の叫び”

「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」が公開。15歳の少女が伝える“沖縄の叫び”

沖縄テレビ放送の開局60周年を記念して製作されたドキュメンタリー映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」が、3月28日から、東京・ポレポレ東中野で公開される。本作は2018年に沖縄テレビで放送され、同年に「FNSドキュメンタリー大賞」(フジテレビ系)でもオンエアされた「菜の花の沖縄日記」に、追加取材を加えたもの。沖縄テレビのキャスター・平良いずみが監督を務め、フリースクールに通うために沖縄にやって来た15歳の少女・坂本菜の花さんが、沖縄で暮らす人々との交流を通して、今なお続く沖縄の基地問題に向き合う姿を追うドキュメンタリーだ。北国・能登半島で生まれ育った彼女は、沖縄で過ごす3年間で感じたことを、故郷の新聞の連載コラム「菜の花の沖縄日記」に記してきた。15歳の少女が実際に自分の目で見て感じた沖縄とは、一体どのようなものなのだろうか。

菜の花さんの通うフリースクール「珊瑚舎スコーレ」は、既存の枠にとらわれない個性的な教育をモットーに、お年寄りも共に学ぶユニークな学校だ。70年以上前の戦争で学校に通えなかったお年寄りが、夜間学生として通っている。冒頭で描かれるのは、そんな人々から戦争の話を聞く彼女の姿だ。

「焼き焦げた死体が(逃げようとする)自分の足を引っ張ることもあった」と語るお年寄りを真っすぐ見つめながらも、今なお辺野古には新たな米軍基地が作られようとしている問題について、意見を問う彼女が映し出される。続いて15年の県民大会で米軍普天間飛行場設計計画阻止を訴える当時の翁長雄志知事の映像が流れ、ここで菜の花さんは「集まった大勢の県民に向けて知事が最後に言った方言(の意味)が分からなかった」とナレーションで語っている。

作品では、16年の米軍属の男性による女性殺害事件を筆頭に、オスプレイの墜落事故、保育園や小学校に米軍ヘリから部品が落下した事故など、さまざまな事件や事故が紹介される。本土では、その危険性や沖縄の人々の不安な気持ちが十分に報道されていない。実際、関東に住む筆者自身も、このような事件・事故が起こった事実を知っているだけで、沖縄に暮らす人々がいかに危険と隣り合わせで暮らしているか、それがどれだけ不安なのか具体的に考えたこともなかった。映し出される人々の生の言葉に「本土にいたら気付かなかった戦争が、沖縄では今も続いている」ことを思い知らされた。

菜の花さんはある日、子どもの頃に米軍ヘリによる落下事故で負った大やけどの痕が今も残る金城さんを訪ね、「子どもたちのために、われわれは叫び続けないといけない」という胸の内を聞く。彼女はそこで、沖縄と大和(本土)の違いは、戦争を風化させないという思いの違いだと感じ、語り継いでいくべき意味を理解していく。

こうして多くの人の口から、基地問題に関する打開すべき現状が伝えられる一方で、沖縄の人々の優しさも描かれる。初対面の菜の花さんに料理を振る舞う夫婦、課題の裁縫を手伝ってくれるおばあさん…と、私たちのよく知る沖縄のイメージがそこにはあったが、菜の花さんは彼らがなぜ明るく振る舞うのかをそこから気付いていく。作品終盤では、辺野古の漁師から海が失われていくことへの思いを聞くシーンが登場する。ここで初めて涙を見せた彼女に対し、漁師が“ある言葉”を投げかける。そこにはまさに悲しみを背負った沖縄の人々の優しさが表れているようで、強く心に残った。

声を上げても届かないもどかしさ、反発と反発から生まれるむなしい衝突、「平和を願う」と口で言うだけの容易さ…。この作品ではそんなことが描かれていた。そして、15歳の彼女を通じて沖縄の“本当の姿や声”が伝わってくる。さらに、菜の花さんの純真で真っすぐな言葉や行動力に感銘を受けるだけでなく、自分に何ができるのかを考えさせられる。作中で彼女が語る「過去を自分ごとにすること」を忘れずに、私たちは生きていかなければならない。冒頭で「何を言っているか分からなかった」と語られていた、翁長元知事が県民にかけた言葉はどんな意味なのだろうか。ぜひラストまで考えながら見ていただきたい。

【作品情報】


映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」
3月28日から東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開(沖縄・桜坂劇場にて先行上映中)

公式HP:http://www.chimugurisa.net/

フジテレビ担当 M・F

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