ピケティ『21世紀の資本』が異色の映画化、世界で広がる「格差」の正体とは?

2014年に発売された、フランスの経済学者トマ・ピケティによる『21世紀の資本』。世界的に社会問題化する格差を論じたこの本は、世界で300万部のベストセラーとなり、日本でも大きな話題となりました。

その『21世紀の資本』が映画化され、3月20日に公開されました。日本語版で700ページ超、厚さ4センチの経済書は、果たしてどう映像化されたのでしょうか? 明治大学准教授でエコノミストの飯田泰之氏に『21世紀の資本』を解説していただきました。


ピケティが示した「r>g」とは?

――そもそもですが、『21世紀の資本』には何が書かれていたのでしょうか?

『21世紀の資本』はベストセラーとなりましたが、そこではマルクスの『資本論』のような壮大な理論が展開されているわけではありません。歴史データをしっかりと分析した本で、あそこまで売れたのが不思議なくらい。よく言えば玄人好みの、有り体にいえば地味な本なんです。

ピケティの結論はいたってシンプルです。資本主義下では「資本収益率(r)は経済成長率(g)を上回る」――「r>g」という不等式で示すことができる、ということ。言ってしまえば、これだけです。

――資本収益率(r)と経済成長率(g)について、もう少し教えてください。

rの資本収益率というのは、財産からの利益率です。仮に財産から得た利益を使わずにいれば、この数字は資産家の財産の伸び率と同じですね。gは経済成長ですが、これは平均所得の伸びとほぼ等しい。いわば労働者の収入の伸びというわけです。この二つを比べてみると、gよりもrの方が大きい、つまりは財産の伸びのほうが大きくなる。

つまり、財産が増えていくほうが早いから、“持つ人”は資本を大きくしてさらに豊かになり、“持たざる人”の生活水準は経済成長程度の収入増しか見込めないので両者の差は開いていくというわけです。

飯田泰之氏

――金持ちはどんどん金持ちになり、庶民は働いても働いても生活が楽にならない。その理由が「r>g」だと。

例えば親から莫大な不動産を相続し、その家賃収入だけで年間1億円の収入があるという人がいたとしましょう。財産からの収入1億円をすべて使い切らない限り、この人の財産・資産は増え続けていく。資産が資産を生んでいくわけです。

かたや、わずかな給料増はあっても、生活の余裕にはつながらない層がいる。働いた稼ぎの中から投資をしなさいという話もあるでしょうが、投資には種銭が大きければ大きいほど分散投資も容易になりますから、リターンも安定する傾向があります。そもそも数百万円程度の資産では、どう頑張ってもそれだけで生活を維持するような利益は生まれません。

――よーく、わかります。でも、それの何が新しかったのでしょう。

これまでの経済学の常識に「クズネッツの逆U字カーブ(クズネッツ・カーブ)」という仮説がありました。このクズネッツ・カーブとは、資本主義経済がはじまった当初は格差が広がるけれど、経済成長にともなって労働力が不足して賃金が上がる過程で格差は縮小していくというものです。

言い換えると、「世の中が成熟すると資本主義は平等をもたらす」という考え方です。これが、これまでは富の分配を語るときの定説だったんです。格差・不平等の問題は世の中が豊かになれば緩和されていくというわけです。

――ピケティの言っていることとは逆ですね。

ピケティ自身も経済成長が格差を縮小するという点については軽視していません。r(資本収益率)とg(経済成長率)の差を埋めるためにはgが伸びるのが何よりですから。

しかし、それだけでは足りない。さらに、「何もしないならば」、格差は拡大するんだと。豊かになることで格差が縮小した第二次世界大戦後から1970・80年代はむしろ特別な時期だったと、ピケティは主張します。それを、300年、場合によっては1000年にもわたるデータを分析し実証したわけで、データを見せられたら反論のしようがありません。では、豊かさが格差を縮小するためには「何が足りないのか」――これが同書の結論部分になります。

“歴史ドキュメンタリー”として格差問題を映像化

――その『21世紀の資本』が映画化されたわけですね。

僕も正直、どうやって映画化するんだろうと思いました(笑)。しかし、とてもシンプルにピケティのメッセージを伝えることに成功していたと思います。

面白いのは、格差問題を歴史的にとらえ、映像を駆使して示しているところです。統計データなどの数字だけではなく、実録映像や映画のシーンなど、たくさんの映像を用いた“歴史ドキュメンタリー”として格差問題を説明したのはとても上手な手法だと思います。

ピケティを含め何人かの学者が登場して述懐していくのですが、これは、ともすれば間延びしてだらけてしまいます。しかし、映像とからめた編集で、テンポよく展開されていました。

――格差を語るときに「歴史」はやはり大切なのでしょうか?

格差の拡大が語られるとき、何か新しい現象だというふうに思われがちですが、実際は産業革命以降、年々、格差は拡大していたんです。

例外となる1940年代から80年代の約50年間の特徴は、戦争と共産主義というカウンターパートの登場です。戦争による富裕層の没落、さらに共産主義への対抗措置として税制が変化したことで富が平準化されました。直線的に格差が拡大していた第二次大戦前があまりにも遠すぎるので、僕たちは「社会は平等だったのに、なんだかここ数年になって格差が広がっている」と考えてしまっていた。しかし、むしろ、戦後50年間が歴史的に特殊だっただけなわけです。

映画では、18世紀まで遡りながら、資本主義は放っておくと、戦間期、つまり第一次世界大戦後の世界になってしまうんだ、ということを効率的に示していましたね。

欧米とは違う日本の格差

――日本でも、どんどん格差が拡大していきそうで怖いです。

格差社会は世界共通の問題となっていますが、日本の格差ってちょっと特殊なんです。大金持ちというとプライベートジェットを持って、月旅行を計画し、SNSで100万円を配る……という人を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか? そういうスーパーリッチは日本ではかなり特殊な存在です。一方で、世界を見回すと、その気になればもっと派手にお金を使える大富豪はたくさん存在する。

日本に人数として多い“お金持ち”は三種類です。まず一番目は、比較的成功した開業医・弁護士・中小企業経営者。いずれもスーパーリッチというほどではない。

二番目は、地方都市の駅前の駐車場やショッピングセンターが建っている土地の地権者。こうした層は「金持ちである」と認識されていなかったりもします。財産所得が年間数百万円あり、贅沢をしなければ働く必要はないけれど、勤め人をやっていたり、あるいは代々続く親の事業を引き継いでいたりする。

――あーいますよね。

人数的に多いのは、そういうちょっとしたお金持ち。そして三番目。もっと多いのが、それに次ぐ年収1,000万~2,000万円のエリートサラリーマン。欧米のように、格差といっても1%の大金持ちと99%の貧困層というのではないんです。

日本の場合、そこそこの資産家とエリートサラリーマンという上流と、そのいずれでもない下流に分断される社会です。一般的に格差社会はピラミッドで示されますが、日本は2つの大きなおだんごが上下に並んでいるイメージですね。

――なるほど。

かつて、日本経済や日本人の働き方は二つに分かれているという定番の日本経済論がありました。「二重経済論」「二重労働市場」と呼ばれる考え方です。例えば、日本の労働市場は分断されていて、高学歴・正社員という層と、学歴がなく自営業や中小企業に勤める層、この二つがまったく違う経済制度や論理によって成立しているという議論です。

もちろん学歴だけで収入が決まるわけではないのであくまで単純化した説明ですが、今、思い出す価値のある日本経済の把握だと思います。現在だと大企業と中小・自営というよりも、正社員と非正規雇用という二重構造の方が直感的に理解しやすいかもしれません。

この両者の差が、一見把握しにくくなっているのです。

――下から見ると、差は大きく見えちゃいますけど。

プライベートジェットを持つ人と普通の労働者の格差は一目瞭然です。両者の接点も少ない。でも、年収1,000万円と年収300万円の格差をイメージしてみてください。タワマンに住んでいるか、築古マンションに賃貸で住んでいるかという差は把握しにくいんですね。そして、タワマンの住人もファストフードに行く。両者の分断が決定的ではなく、ある程度の連続性を持っていることのやっかいさです。

ここで問題なのは、格差がわかりにくいぶん、連帯が難しいんですね。2011年にアメリカで「We are 99%!」をスローガンに「Occupy Wall Street」という運動が起こりました。でも、日本ではこうした格差を議題にした社会的な運動が起こりにくい。

――上のおだんごも大きいですから、その中でもまた、差がありますもんね。

そうですね。上のおだんご側にいても「我こそは支配階級なり」なんて誰も思ってない。加えて、上から下へこぼれる落ちることはあっても、下から上のおだんごに上がるのが極めて難しくなっています。このような「下への移動」が進むと、日本もヨーロッパのようなピラミッド型に近づいていきます。

そうなると、彼我の力の差――経済力の差とそれによる政治的影響力の差は歴然となり、議会を通じた穏やかな形での格差解消政策は実現不可能になるでしょう。欧米を見ればわかりますが、この問題を解決できず、格差は広がり続けているわけです。日本の場合、連帯はしにくいけれど、おだんご型の今ならまだ富裕層の力をそぐという変化は実現不可能ではない。

映画『21世紀の資本』も示した格差解消策

――でも、どうすればいいんでしょうか?

資本主義によって拡大する格差について、ピケティはきっちり解決法を示しています。映画でもストレートに提示されています。

――その解決法とは?
ネタバレになるのかもしれませんが、格差解消の解決方法はシンプルで「富裕層への課税」。それ以外に解決方法がないわけです。

原作は分厚い経済書で、しかも、その映画化で難しいのでは?というイメージを抱くかもしれません。でも、むしろ、この映画によって「みんな、小難しい理屈を考えすぎる」「そんなに複雑な話ではないんだ」ということがわかるのではないでしょうか。このメッセージはけっこう、重要だと思いますね。

21世紀の資本(原題:Capital in the Twenty-First Century)

飯田泰之
1975年、東京生まれ。明治大学政治経済学部准教授。専門は経済政策、マクロ経済学。著書に『日本史に学ぶマネーの論理』(PHP研究所)、『新版 ダメな議論』 (ちくま文庫)、『経済学講義』 (ちくま新書)など。

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