マスク600枚の寄付した女子中学生に対するオトナたちのさもしい反応 一度も使わずに貯めてきた8万円を材料費に充てた女の子に…

写真はイメージです

甲府市に住む中学一年生の女の子が、自作のマスク約600枚を県に寄付したというニュースが流れました。コロナに関する暗い情報ばかりが飛び交う中で、心に一筋の光を投げかけてくれる素晴らしい行いだと思います。

材料費にかかったおよそ8万円は、彼女が幼い頃から一度も使わずに貯めてきた「お年玉」で賄ったそうです。

このニュースのツイートに連なったTwitterでのリプライや、ニュースサイトへのコメントにも、彼女の行動を礼賛する声が多かったようです。

さらに以下のような書き込みも多くみられました。

「8万円!!!! 大金ですよ。

そしてこのお子さんの労力…。

素晴らしいとは思いますが寄付として受け取るのではなくお金をちゃんと払ってあげて欲しいですね。収入がある人からの寄付は遠慮なく受け取ったら良いと思う」

「せっかく貯めた8万円。甲府市はどーするの?せめて8万円で購入させて頂きましたとなって欲しいな。」

「寄付じゃなくてちゃんと買い取れ」

「この子に税金から、制作費と制作時間分出してあげて」

彼女を褒め称えたい気持ちはわかります。しかしこの反応は、日本人のさもしさが露わになってしまったものではないでしょうか。

彼女が行ったのは明らかに「贈与」の行為です。それに対してこうしたコメントは「交換」で返せと言っているのです。

貨幣を持たなかった頃の人類には「贈与」の原理が働いていました。村と村や部族と部族がお互いに生きていくために、相手に贈り物をした。最大の贈与は結婚であり、嫁や婿を相手の村に嫁がせること。贈与は物や人に、情や愛を乗せて送る行為です。受け取った側は、これに対し交換で返すことはできません。返すならば、同じように贈与で返さなくてはならないので、物や人に情や愛を乗せて贈る。こうすることで、互いに背反し合う村や部族であっても、情や愛が往来するのでバランスが崩れることは少なかったのです。

しかし、贈与は煩わしいし、いちいち情や愛を乗せていたのでは、往来の回数も増えません。そこで人類は物が来たら別の物で返すという「交換」の原理を発明しました。向こうから来たものに対して「等価と思しきもの」を返す。こうすれば感情のやりとりが必要ないので煩わしさも少なく、感情をこめないために往来させる回数も増やせるということです。

これが資本主義の原点で、物と物の交換だったところに「お金」が介在してくるようになり、物とお金で交換が成立するようになりました。こうなれば、やりとりの回数は増えて経済の分母はみるみる拡大していくのです。

だからこそ資本主義は、私たちに「進むこと」「増やすこと」を求めます。

女の子がマスクを作って送ったという「贈与」行為に、制作費や賃金という「交換」で返そうとするのは、彼女の情や愛を切り捨てて「換金する」ということになりませんか。値札のつけられるものにしか価値を見出せない、なんとも狭隘な視点です。

果たして、彼女の情熱や愛情に基づいた行為に価値をつけることなんてできるのでしょうか。

資本主義まっただ中で、交換原理にどっぷり浸かって生きている私たちには、彼女からの贈与への返答を思いつくことは至難の業です。

しかし、それを前にしたとしても「お金と交換する」なんていう、愛のないことだけは絶対にしたくないと感じるニュースでした。(文◎Mr.tsubaking)

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