ピケティからの警鐘、経済学者が考える「格差固定」日本への処方箋

前編では、明治大学准教授でエコノミストの飯田泰之氏にトマ・ピケティが何を提示したのかを解説。映画の見どころと合わせて指摘されたのは、日本の格差は欧米とは異なること。そして、格差の拡大とともに欧米と同じピラミッド型に向かっていることでした。

後編では、その日本型格差「おだんご型」について、さらに詳しく聞いていきます。


日本型格差が誕生した理由

――前回、日本の格差は、欧米のようにごく一部のスーパーリッチを頂点にしたのピラミッド型とは異なり、「そこそこ経済力がある層」と「ぜんぜん経済力がない層」が二つのかたまりに分断されているおだんご型だとご説明いただきました。どうして、おだんご型になったのでしょうか?

第二次世界大戦中から後、世界の国々では累進課税を重くすることで、格差の是正を行いました。また戦後の経済成長もまた、格差拡大を食い止めていた。しかし、欧州の多くの国や米国では資産そのものにはあまり手をつけていない。『21世紀の資本』の基本は「r(資産収益率)>g(経済成長率)」であることを思い出してください。資産の不平等が温存されている限り、格差の拡大は進んでいくことになります。

一方で日本ではこの資産に手をつけた。手をつけたというより「つけさせられた」。

――GHQによる……

そう。幸か不幸かわかりませんが、日本は戦後、GHQの強力な支配・指導のもと、国を再建していくことになりました。GHQ、そのなかでも民政局のメンバーにはニューディーラーが多かったと言われています。ルーズベルト大統領によるニューディール政策は、富の再分配や政府事業の拡大などの社会民主主義的な経済観を軸にしているため、米国では継続的な政策とはならなかった。米国で夢破れた彼らは日本で自分たちの理想を実現しようとしたのではないか―――というわけです。「農地改革が米国人主導で行われた」ことの特殊さを考える必要がある。

――農地改革って、地主たちから所有地を買い上げて、小作人に安く売ったってやつですよね。

そうです。「買い上げる」というと聞こえはいいですが、事実上没収といってよい安価で接収されたわけです。私有財産の没収をアメリカという資本主義陣営の親玉が命じたわけです。しかも、その土地に住んでいない「不在地主」への打撃は非常に大きかった。これによって戦前、なんなら前近代から続く資産家の多くが没落していくことになりました。

たとえば、ローソク足分析で有名な「酒田五法」を考案した本間宗久の子孫、酒田本間氏は、戦前1,750haの農地を持っていたのに――農地改革後に残ったのは4haだそうです。

――すごいですね。

莫大な資産を相続し、その資産からの利益でさらに資産を増やす。このスピードがピケティ が『20世紀の資本』で提示した格差拡大の基本式、「r>g」のr(資本収益率)なわけです。しかし、戦後の日本においてはもっとも典型的な富裕層である大地主を、戦後改革と高インフレで叩き潰した。これによって富の集積の度合いがぐっと下がったわけです。いわば格差拡大時計の針をギュッと引き戻した。だからこそ、格差の程度が欧米にくらべて少ない状態が続いていたわけです。

「学歴」と「結婚」という階層流動化装置

――それでも、格差は大きくなりおだんごができた。

膨大な資産をもつスーパーリッチがいなくなったかわりに、中堅企業の経営陣や小地主、これに加えて安定的な雇用・所得をもつアッパーミドルが、程度こそ大したことないですが、ある程度人数の多い上流層になっていったわけです。

この階層は、資産格差に比べて、本来ならばある程度流動的です。経営に成功しなければ稼げる経営者にはなれませんし、高い学歴を得なければ高給取りにはなれません。しかし、この階層流動化の機能が近年弱くなっているのではないでしょうか。

教育費をいくらかけたかは結果としての学歴に大きく影響します。また、金銭以外の資本――芸術・文化的体験や書籍や学習への興味を引き立てる家庭内の慣習といった文化資本もある程度豊かな家庭ほど豊富です。最大の階層流動化装置だった学歴のシャッフル機能が弱りつつあるわけです。

――親の年収と子どもの学歴が無関係ではなくなっていますもんね。

余談ながら、政府や教育業界はペーパーテスト以外の「多様な選抜方法」を拡大しようとしています。しかし、この「多様な選抜方法」というのはくせ者です。

上流層では、子供のころから習いごとや海外旅行、留学など、さまざまな経験を親から享受している。面接やプレゼン、体験をベースとしたスピーチで合否が決まるようになったら……決定的に豊かな家庭が有利になるでしょう。だってノンエリート層の家庭ではそんな体験する資金も機会も人脈も乏しいですから。

批判もあるでしょうが、純粋に学力のみが判断基準だというのが日本型学歴社会のいいところなんです。もちろん学力だって塾や家庭教師といった方法で金銭的に向上させることはできる。しかし、金銭や家庭の重要度は「体験や感性についての総合力」よりはかなり低い。どんな家の生まれでも、ガリ勉すればそれなりのとこまでは到達できることの重要性は大きいでしょう。

――学歴社会もそういう見方をすると、感じ方が変わりますね。

「多様な選抜方法」というと聞こえはいいですが、上流層が自身の子女に有利な選抜方法を拡大しようとしているのではないかと勘ぐってしまいます。AO入試や推薦といった多様な入学ルートは学生の多様性を高める効果があるのは確かですが、あくまでスパイスであってメインであるべきではないというのが私の見解です。

社会の流動化に話を戻しますと、もう一つの重要な階層移動機会は「結婚」です。

――結婚の階層移動はイメージしやすいです。

かつて、女性はよほど優秀でなければ、一般職で数年で結婚という方が多かったわけです。しかし、もはやそういう時代ではありません。

女性の働き方が変わったことで、男女の出会いにも変化が生じます。職場でも交友関係でも「似たような学歴・職業・収入」の人同士としか出会わない。そして、お見合い結婚というルートが極端まで細くなった結果、「出会わない人とは結婚のしようがない」状態です。

その結果、結婚する男女の学歴・階層差が縮まっている。結婚が階層流動化のひとつのルートになっていたのは「お見合い時代」と最近の「同格婚時代」はざまに一時的なものだったのかもしれません。経済成長が格差縮小につながったクズネッツの逆U字仮説と同様に。

上のおだんごの男女が結婚し、その子供たちがまた似たような階層間で結婚をしていく。これが続くと、上下のおだんご間の分断はどんどん深くなっていくでしょう。そして、下のおだんご内では、そもそも経済的に不安定で結婚できない、子供を作れないという層が増えている点も見逃せません。

日本型格差解消は「広く、浅く」

明治大学准教授でエコノミストの飯田泰之氏
――うーん。格差の解決策はやっぱりピケティが『21世紀の資本』で示したような金持ちへの課税なんでしょうか。

そうですね。日本の場合、上のおだんごである、中高所得者層・プチ資産家層に対する広く薄い課税が必要だと考えています。もともとがたいした金持ちではないので極端な税率の上昇は難しいでしょう。一方で、人数はたくさんいるという利点がある。だから広く薄く、ですね。

税金は、ざっくりいうと所得課税と消費課税と資産課税に分類されます。かつての日本は所得課税――個人所得税と法人所得税が中心でした。ちなみにこれも戦後改革の一環です。「シャウプ勧告」というやつですね。しかし、所得課税には税収が安定しないという問題点がある。そこで議論がはじまったのが消費課税、つまりは現在の消費税の導入です。

――はい。

消費税そのものの問題点はさておき、昨秋に消費税が10%になったことで、所得課税と消費課税のバランス、いわゆる直間比率の是正は達成されたと考えるのが一般的でしょう。これ以上の消費増税には税構造の安定化という理屈では正当化できません。ここから税制改革を考えるならば、もうひとつの課税ベースである資産に課税していくべきだと思います。

日本はなぜか土地は本貫の地というか、先祖代々は受け継ぐべきものみたいな不思議な感覚が強いですよね。金融資産への課税には抵抗はないのに、土地に対しての課税は忌避されがちです。しかし、現代では、土地も様々な資産のワンオブゼムでしかないことも忘れてはなりません。

――資産課税は相続税と固定資産税がありますよね?

僕はずっと相続税がいいと言っているのですが、それは現在の日本の状況では徴税しやすいからというだけです。よく、「相続税をなくしている国がある」といった意見がありますが、単に徴税方法を変えているだけというケースも多いです。日本でいうところの固定資産税を高める代わりに相続税を縮小するわけです。ようは、死んだ時にとるか、毎年とるかの違いにすぎません。徴税効率の良いほうを選べばよいので、何も絶対に相続税であるべきだとまでは、僕は、思いません。

ただし、さきほど言ったように、持っている人は、それまでずっと親からさまざまな恩恵を受けてきたわけです。ここは経済理論からは離れますが、さまざまな恩恵を与えてくれた親が亡くなったなら、そこで少しくらい再分配してもいいんじゃなの?と思うんです。1,000万円の土地が600万円で手に入るわけで、得をしたことに変わりはないわけですから。

また、亡くなった方についても子孫に資産を残せるくらいの人生を送れたことの少なからぬ部分が日本国・日本社会のおかげでしょうから、何割かを納付しても罰は当たらないんじゃないかと。

――個人的にはそう思います。

一方で、地方再生という視点から考えると、固定資産税にも利点があります。固定資産税は地方税収です。固定資産税が上がれば税収があがる。税収が地価で決まるとなれば、まちづくりに一生懸命になると思うんですよね。実際、イギリスでタウンマネージャーを中心としたまちづくりが盛んなのは、自治体税収の多くが固定資産税だからです。町が廃れて地価が下がると、自分たちの首が閉まる。だから、ものすごく一生懸命になる。

今の日本では、地方交付税交付金がいちばんの税収なので、下手に産業ができるとむしろ困ってしまう。ある県で、次世代エネルギー施設の誘致の話に「産業ができて交付金が減ったらどうする!」と議員が猛反対するという本末転倒なことが実際にあったりするわけで。

これからの日本経済

――悪いジョークみたいです……。このまま手をこまねいていると、どんどん格差は広がって、ピラミッド型になっちゃうんですよね?

格差が広がっているもう一つの理由は、ある意味、日本が貧しくなったからでしょう。1980年~1990年代は、海外で活躍しても日本で活躍しても給与水準は変わりませんでした。しかし、同じ仕事をするならば、海外で活躍をしたほうがいい。いわゆるグローバル人材は勝手に高所得者になっていくし、プチ資産家は海外への投資で一定の利回りが得られる。その一方では……っていうことですよね。

――日本が貧しくなったのは、何が原因でしょう?

それはもう経済政策の失敗でしょう。失われた20年、または30年と言いますが、この国は20年間以上、経済成長していないわけです。ピケティの「r>g」でいえば、gがゼロですと、rとの差は大きくなる一方です。

実際、金融緩和政策がスタートした2012年末から2018年半ばまでは景気はよかったですよ。「好景気の実感はない」という人も少なくありませんでしたが、学生の就職はよかったですし、中小企業の経営者や地主層の表情は軒並み、明るかった。

多くの人にとって、政治への第一の関心は経済・景気です。経済政策がうまくいっていれば、政権の支持率は高まりますし、逆は逆というわけです。

――日本経済、これからどうなりますか?

消費増税がかなりのダメージになっているところに、コロナウイルスですからね。現段階ではいつ終息するのか、そもそも、何をもって終息と言えるのかすらわからない状態で、「わからない」というのが正直なところです。

このような状況では、大胆な、そしてやり過ぎだと思われる規模の経済対策が必要です。消費増税や増税以前から始まっていた景気の縮小傾向に対応するためだけだとしても、昨年末に政府が策定した経済対策は不十分です。財政支出13.2兆円規模というとかなり大きいように感じますが、既存の公共事業の縮小・延期などによって財源を確保している部分が大きく――純粋に国債で調達した財政支出が5兆円プラスアルファ積み増されるべきだと思います。

――コロナも大きなダメージになりそうです。
コロナについては、ごくラフに試算すると、この騒動が続く間は月に5~6兆円の需要低下が発生することになる。ですから、4月上旬までに落ち着いたとしても必要な経済対策規模は10兆円以上必要でしょう。

これらの大規模な財政出動を支え、さらに国際的な不安の中で進む円高に対応するために金融政策も十分な資金供給によって金利の上昇を抑え、さらに政府保証融資の拡大とあわせて、現下の危機が信用危機にいたることのないように進められなければなりません。

現下の経済政策は、ピラミッド型の格差社会に陥らないための最後のタイミングを迎えつつあると同時に、弱者にこそもっとも大きな負担を与えることになる大不況を避けるためにあらゆる政策手段に躊躇しない局面にあるといえるのではないでしょうか。

21世紀の資本(原題:Capital in the Twenty-First Century)

飯田泰之
1975年、東京生まれ。明治大学政治経済学部准教授。専門は経済政策、マクロ経済学。著書に『日本史に学ぶマネーの論理』(PHP研究所)、『新版 ダメな議論』 (ちくま文庫)、『経済学講義』 (ちくま新書)など。

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