幼少期から愛情抱けず「あきらめて」

心折れた母 寝屋川監禁死事件、公判の記録(2)

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真下 周

共同通信社記者

真下 周

共同通信社記者

2001年入社。「複雑なものを複雑なまま書く。そこに大切なものが宿る」。新聞記者失格かもしれませんが、自分のモットーであり、スタイルです。

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 2017年12月に発覚した寝屋川監禁死事件は、両親の監視のもと、10年超の年月を社会から隔絶した場所で過ごした果てに柿元愛里さん=当時33歳=が命を落とすという悲惨なものだった。公判や取材から見えてきた愛里さんはどんな人で、どのような幼少期を過ごしたのか。そして、親と娘の関係は、いったいどんなだったのだろうか。(共同通信=真下周)

法廷での父親の泰孝被告(57)と母親の由加里被告(55)=イラスト・坂井雅恵

 ▽「あんたのこと映してるんとちゃう」

 愛里さんは1984年10月に長女として宮崎県で生まれた。当時、父の泰孝被告は22歳、母の由加里被告は19歳。若年の授かり婚だった。

 愛里さんは育てにくい子だったようだ。母子手帳には母が手書きで「泣き声が神経むき出し、怒っているようで怖い」と記していた。その後も「おうむ返し。話ができない」(2歳)「困らせることばかり。すぐに飽きたり、いらいら。じっとしている」(3歳)「食べ物中心の考え。顔色をうかがう」(4歳)「うそをつく。こそこそする。決まりどおりしか言わない」(5歳)と続く。公判では自分の気持ちを偽った行動を取るなどの二面性があったと指摘した。幼稚園に通っていた時から、不登園気味で、母は行政機関に子育ての悩みを相談していたようだ。

 5歳違いの妹が生まれる。家に保管されていたビデオ映像には、生まれたばかりの妹が映され、愛里さんが寄ってくると「あんたのことを映してるんとちゃう。はよ向こう行きいな」と母の声が入っている。7歳の時にも「こっち向かんでええねん、いちいち」と母が言い、父が「ほんまや」と同調するシーンがある。

 ずっと後になって母が妹に宛てて作成中のままだった携帯メモには「あなたは親になった喜びを、お姉ちゃんは親になった痛みを教えてくれた」と記し、「(愛里は)にくたらしくて滑稽な態度しかできず、差別したが、大切に思う気持ちにたいして差はなかった」と続けた。別の機会にも「どれだけ腹が立っても絶望しても、愛里が大切という気持ちを味わっている」と心情を書き留めた。

法廷での母親由加里被告=イラスト・坂井雅恵

 ▽「いがみ合った夫婦の結晶」

 3歳のとき、一家は滋賀県彦根市のアパートに移り住む。父はガラス製造の工員として働き、母はアルバイトに出たこともあるが、基本的には主婦をしていた。

 愛里さんが最初に不適応を起こしたことが分かるのは小学2年生。本格的な不登校が始まった。ショックを受けたとみられる母は自分の姉である伯母宛てに手紙を書いた。「嫌いな人と一緒になり、いがみ合った夫婦がつくった結晶」と愛里さんを表現。「かわいくない赤ん坊だった。なつかないし、甘えないし。そういった理由をだしに私はどんどんと悪い母親になっていった」と述懐した。

 具体的にどんな対応をしたのかははっきり分からないが、「感情に走って暴力を振るったり、けなしたり、いやなことを言ったりした」「どうしてほしいか分かっているのに、わざとほうったらかした」と記した母のメモが残る。検察官はこうした記録をたどり、愛情を持てなかった母と同調した父が愛里さんを疎ましく思い、自宅敷地内で生活を別々にするところから、徐々に監禁生活にエスカレートしていったとの筋書きを立てた。

柿元愛里さんの遺体が見つかった住宅=大阪府寝屋川市(共同通信社ヘリから)

 ▽母の理想と違った愛里さんの実像

 小1、2年のときの担任が証言台に立った。「お母さんは若くて娘さんのような感じ。『妹は私に似ているが、愛里はお父さんに似ているからかわいくない』と言っていた」と記憶をたどる。正直で素直で甘え上手―。子どもに求める理想像と愛里さんの実像が違っていて、2人の間にボタンの掛け違いがあると感じていた。

 愛里さんは鉄棒に足を巻き付けてぶら下がり、体重を支えるポーズができなかった。運動面で課題を感じさせたが、教室でパニックになるような情緒面の問題は特に感じず、特別支援学級への在籍などは検討しなかった。

 「幼少期は親に丸ごと受け止めて愛してもらいたいが、そうなっていないと感じた」と言う元担任。ある朝、校舎のげた箱で顔を腫らして泣いている愛里さんに気づき、事情を聴くと「自分がうそをついて、お父さんにぶたれた」と話した。当時の学校長も児童心理に詳しかった人物のようで、愛里さんのことはいつも気にかけていたという。義務はなかったが児童相談所に通報し、児相の指導員は夫婦に愛里さんへの向き合い方を変えるよう指導した。応じた母は「叩いた分を叩き返してもらい、許しを請う」と受容する姿勢を取り、愛里さんに好きなことをさせて欲求を満たしてあげようとしたらしい。愛里さんは一時、赤ちゃん返りを始め、家でごろごろしては食べるばかりの生活になった。

柿元愛里さん(小学校の卒業アルバムから)

 ▽「親はいつも妹ばかりかわいがる」

 一家は転居を繰り返した後、大阪府寝屋川市の一軒家に移り住んだ。愛里さんは再び学校に通い出していた。5、6年生でおしゃべりする仲のクラスメイトができた。女の子は家にも何度か遊びに来たが、愛里さんが離れのプレハブで家族とは別々に生活し、食事も一人で採っていることを知り、驚いたという。父母にあいさつしても歓迎されている感じはしなかったという。法廷に立ったこのクラスメイトは「愛里さんとのやりとりで違和感は特に持たなかった。普通の家庭に生まれていたら、おとなしくていい子と言われていたと思う」と話した。

 かわいい服を着せられていた妹に比べ、愛里さんはいつも破けたような同じ服を着て登校していたようだ。卒業アルバムに載った写真や修学旅行の集合写真も同じ格好だった。別の友人は愛里さんが「親はいつも妹ばかりかわいがる」とうつむいて話したことを覚えている。

 「自炊が始まった。私はお茶係だった。みんな真剣。できたカレーは水っぽかった。キャンプファイヤーが一番楽しかった。すんごい楽しかった」。クラスメイトとの遠足や修学旅行も楽しく過ごし、作文にも体験を生き生きと書いていた愛里さんだったが、その後にぷつりと学校に来なくなった。母は公判で「愛里は『いじめがある』と言っていた」と証言したが、友人らははっきりと否定した。

 ちなみに母は、愛里さんの不登校について学校に相談した、としている。校長に「友人と過ごすのが嫌で一人だと勉強すると言っているので、別教室で学ばせてほしい」と提案したが、「健常者も障害者もみなが一緒に学ぶ方針なので、愛里さんだけ特別な教室を作るわけにはいかない」と断られたようだ。当時はまだ発達障害に対する社会の認知度は低かったと言え、今の特別支援教育のように、個別の事情に合わせた配慮を行うことはなかなか難しい時代背景があった。

柿元愛里さんが小学5年生の頃に書いた作文

 ▽改善の兆しも「山あり谷あり」

 小学校を卒業し中学生に上がっても、一度も学校に通わなかった。家での閉じこもり生活。「ロボット状態」(中2)「ストーブ、電気付けない。ずっと同じ姿勢。カニさん状態」(中3)と退行していく。母は「本能のままに、愛里は行いを少しずつ省略していった」とメモしている。一方、庭でひとり懸命に体操するなどしており、その光景は奇妙だった。妹は姉との関係について「姉は家でじっとしていたり、絵を描いたり。全然しゃべらない。私からふざけて話しかけても困ったような顔をしていた。姉妹という感じは全くしなかった」と証言した。

 父母との関係や生活に改善の兆しが見えたことも。妹の提案で始まった家族の交換日記「柿元ノート」。この頃、愛里さんと3人は母屋のひとつ屋根の下で再び暮らしていた。父は「一緒に生活できるようになって本当によかった」。愛里さんは「みんなと暮らすためにみんなのこと考える」と応じた。母は「愛里も生活が落ち着いてきてほっとしている。お母ちゃん幸せだよ」とつづった。「おかぁが手伝ってほしい時、いつも愛里が手伝ってくれるね」との記述も。ただ「みんなとおるほうがいい」と書いて喜ばせた愛里さんの字は次第に弱々しくなる。1カ月後には「この前、足をぐねった。運動している時間が長くつらい。現実は厳しい」と書き、母の「山あり谷あり」の記述でノートは終わっている。

 ▽「あきらめて」と言われ、世話から遠ざかる

 中3の年齢の時、母にとって心が折れる出来事があったようだ。「(どんな状態であっても)少しでも人の役に立てるようになってほしい」と日頃から願っていた母だったが、その励ましも、愛里さんから「がんばれと言われるのがうっとおしい。家族とはうまくいかない。あきらめてほしい」と告げられてしまう。落ち込んだ母は愛里さんの世話から遠ざかった。

 弁護人の質問に「愛里には、学校に行って、友人と仲よく普通にやってもらいたかった。一生懸命、期待に応えようとがんばってくれたと思うけど、やっぱり無理やったんかな」と力なく振り返った。

 愛里さんはその後、父が日曜大工で作った囲いのあるスペースで寝起きや食事、排せつなどもするようになり、最終的に22歳の頃にはプレハブの内部を改造し、窓もなく施錠された〝監禁部屋〟で過ごし始める。以降は一度も外の空気に触れることはなかったが、それより前の時期には精神科医に相談し、何度か愛里さんを連れ出して診察を受けさせるなど、状況の改善を図ろうとする行動も見せていた。(続く)

一畳間に消えた命 娘の死映した監視カメラ 寝屋川監禁死事件公判の記録(1)

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