タレントの志村けんさんが29日、新型コロナウイルスによる肺炎のため死去した。70歳だった。所属事務所による感染・入院の発表から1週間もたたないうちに飛び込んできた訃報は、ウイルスの猛威が広がる国内に衝撃もって受け止められた。「ザ・ドリフターズ」の一員として一躍人気を集め、「志村けんのだいじょうぶだぁ」など数多くの冠番組を手掛けた志村さん。「カラスの勝手でしょ」「変なおじさん」など、思い浮かべるギャグやキャラクターは世代によってさまざまかもしれない。写真とともにその生涯を振り返る。 (構成、共同通信=松森好巨)
志村さんはドリフターズの付き人を経て、1974年にメンバーに加わりテレビ番組「8時だヨ!全員集合」に出演。出身地の東京都東村山市の「東村山音頭」をコミカルにアレンジしてヒットさせた。加藤茶さんとのコンビによる「ヒゲダンス」や、股間に白鳥の首を付けたバレリーナの姿で「イッチョメ、イッチョメ、ワーオ!」と叫ぶギャグも話題になり、当時の子どもたちがこぞってまねをした一方で、日本PTA全国協議会の「子どもに見せたくない番組」調査で毎年のように上位を占めるなど批判も受けた。
ちなみに、思いがけず知名度が向上した同市は76年、志村さんの功績をたたえ感謝状を贈呈。東村山駅前に3本のケヤキを植樹した。以来、その木は「志村けんの木」と呼ばれ市民に親しまれているという。
80年代に入ってからも「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」や「志村けんのバカ殿様」といった人気番組を数々手掛けていく。このころに生まれた顎の下で手を横にした「アイ~ン」は志村さんの代名詞とも言えるギャグとなった。
コメディアンとしての地位を確かなものにしていく一方で、映画「鉄道員」では俳優としての存在感を発揮。30日に放送が始まったNHK連続テレビ小説「エール」では作曲家の役で出演が決まっていたほか、初めての主演映画「キネマの神様」(山田洋次氏が監督、脚本)も決まっていた(映画は26日に辞退が発表された)。
ドリフターズのリーダーだったいかりや長介さんも後年、映画やテレビドラマで俳優として活躍し高い評価を得ていた。〝笑い〟はもちろん〝役者〟としての志村さんがどのような演技を披露してくれるのか、これからの活躍をもっと見ていたかったのに残念でならない。