「背番号3」なのに右サイドバックだった10人の選手

今日は4月3日。背番号3を着けた右サイドバックたちを振り返ってみる。

バカリ・サニャ(引退)

3番時代:アーセナル 2007~14、マンチェスター・シティ 2015~17

アーセナルで活躍したフランス代表SB。

デビューしたオセールでは29番だったが、プレミアリーグでは3番を着け続けた。その後も83番(1983年生まれ)、33番と3にまつわる番号を着けている。

スティーヴ・フィナン(引退)

3番時代:リヴァプール 2003~2008

リヴァプールの右サイドを支えたアイルランド代表SB。フラムでは2番だったが、レッズでは3番に。

ちなみに、リヴァプールではアベウ・シャヴィエルも3番を着用。また、元リヴァプールのスペイン人DFホセミも3番を着けた右SBだった(リヴァプールでは17番だったが、マラガ、マジョルカ、ビジャレアルで3番)。

マウリシオ・イスラ(現フェネルバフチェ)

3番時代:ウディネーゼ 2009~2012、カリアリ 2016-2017

ユヴェントスでもプレーしたチリ代表のユーティリティープレイヤー。代表では4番を着けており、現在所属するフェネルバフチェでも背番号は4だ。

シシーニョ(引退)

3番時代:ローマ 2007~2009

レアル・マドリーでもプレーした超攻撃的右サイドバック。DFながらレアルでは11番をつけた。ローマでは最後に2番を着用。

田中隼磨(現松本山雅FC)

3番時代:2013~

かつてはJ屈指のスタミナとスピード、正確なクロスで右サイドの支配した。2014年に松本に加入した際、急逝したF・マリノス時代の同僚である松田直樹氏の3番を受け継いだ。

このほかで背番号3を着けた選手たちをまとめて見てみよう。

トリノ時代後期のダニーロ・ダンブロージオ。

フランクフルト時代のギジェルモ・バレラ。

ベティス時代のマルティン・モントーヤ。

ドルトムント時代のエヴァニウソン。

PSV時代のマイケル・ライジハー。

逆に背番号2だった左サイドバックもいるので、機会があれば取り上げてみたい。

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