司会はタモリ「今夜は最高!」これぞ ザッツ・エンターテインメント! 1981年 4月4日 日本テレビ系バラエティ番組「今夜は最高!」の放送が始まった日

夢であいましょう、シャボン玉ホリデー、そして今夜は最高!

キャンディーズ涙の解散コンサートからちょうど3年が経った1981年の4月4日、その番組はスタートした。かつて『魅惑の宵』や『シャボン玉ホリデー』で我が国のTV音楽バラエティの礎を築いた日本テレビが、80年代を迎えてから満を持して放った本格的ショウ番組『今夜は最高!』である。NHK『夢であいましょう』などのエッセンスもしっかりと踏襲していた。メイン司会にはタモリが起用され、パイオニアの一社提供。

スタッフも鉄壁の布陣が組まれた。TVバラエティの歴史を熟知し、タモリとも交流の深い高平哲郎が構成を手がけ、アドバイザーでタイトルデザインも担当した和田誠を筆頭に、音楽は鈴木宏昌、振り付け・土居甫、スタイリスト・矢野悦子、ディレクター陣は『熱中時代』を演出した後『11PM』などにも参加していた矢野義幸、『紅白歌のベストテン』や『金曜10時!うわさのチャンネル!!』の棚次隆、さらに音楽やバラエティ畑のペテラン須沼望ら。プロデューサーの五歩一勇は『シャボン玉ホリデー』のADで業界入りしており、その際に放送作家を務めていた景山民夫が当時のテレビ業界を描いた小説『ガラスの遊園地』の主人公・チョボイチのモデルとなった人物である。

技術、美術のスタッフもしかり。日本におけるテレビマンのレジェンド、井原高忠や秋元近史の遺伝子をしっかりと受け継いだスタッフたちによって丁寧に作られた、音楽とトークと笑いの世界。そのクオリティの高さは当時まだ高校生だった自分が見ても明らかだった。エンディングの「星に願いを」は『シャボン玉~』における「スターダスト」のオマージュであったろう。

第1回のパートナーは竹下景子、男性ゲストは浅井慎平と桑田佳祐

毎回豪華なゲストが番組に花を添える中、何よりホスト役のタモリが醸し出す独特なインテリジェンスが、ハイセンスで大人の視聴者へ向けられた番組の品格を支えていた。銀幕の大スターから個性派文化人まで、どんなゲストとも見事に渡り合う才覚につくづく感心させられたものだ。

有難いことに、高平哲郎が書き綴った書物などで番組誕生の経緯を知ることが出来る。2010年に出された著書『今夜は最高な日々』(新潮社刊)によれば、タイトルの発案者はチーフプロデューサーのハムさんこと中村公一だったという。女性ゲストをパートナーと呼ぶのも中村のアイデアだったそうである。記念すべき第1回のパートナーは竹下景子、男性ゲストの浅井慎平と桑田佳祐という布陣は、デビュー以来のサザンオールスターズファンである自分もはっきりと憶えている。

300名以上に及んだというゲストの顔ぶれは実に華やか。藤山一郎、ディックミネ、ジョージ川口らの超ベテランから、トニー谷、植木等、ビートたけしといった喜劇人、さらに吉永小百合、浅丘ルリ子、夏目雅子らの女優に、岡本太郎、野坂昭如、赤塚不二夫らの文化人たちがトークはもちろん、コントや歌も披露してくれた。最多出演ゲストは所ジョージだったらしい。89年10月7日の最終回は、由利徹、谷啓、団しん也、森田健作、小柳ルミ子、浅野ゆう子らのオールスターゲストで有終の美が飾られた。

充電期間を経ながら8年半にわたるロングラン

放送時間は毎週土曜の23時から。家で過ごすサタデーナイトが豊かな気分でいられたのはこの番組のおかげであった。81年から実に8年半にわたって放映されることとなったわけだが、最初の1年間の放送の後、82年4月から5ヶ月の中断があったことはあまり知られていないかもしれない。

充電期間とも思えるその間に同枠で放映されたのは、桃井かおりとダークダックス、所ジョージによる音楽バラエティ『日曜はダメ!!』という番組で、残念ながら自分は全く記憶していない。構成・伊集院静という新機軸だったらしいが結局定着せず、その後『今夜は最高!』が復活してロングランとなったのだった。

『今夜は最高!』に格別な愛着があるのは、視聴者としてはもちろんのこと、その後、矢野ディレクターをはじめ、コルゲンさん(先述した鈴木宏昌の愛称)や所ジョージ、九十九一ら一部のスタッフ・キャストがスライドして84年にスタートした深夜番組『TV海賊チャンネル』に、制作会社に就職した自分がADとして派遣されたこともあるからだ。姉妹番組とは言えないまでもスタッフ間の交流もあり、時には五歩一プロデューサーのパシリをしたことも今ではよき想い出だ。『ザ・トップテン』に『11PM』に『木曜スペシャル』、麹町の日本テレビ本館にあった制作ルームは活気に満ちていた。

カタリベ: 鈴木啓之

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