自然も人も観測隊の魅力 読者の代わりは果たせたか? ぼちぼち南極

横須賀港に到着した南極観測船「しらせ」=6日午前、神奈川県横須賀市

 春の穏やかな日差しが降り注ぐ4月6日、神奈川県横須賀市の海上自衛隊基地に、見慣れたオレンジ色の大きな船体が少しずつ近づいてくる。約4カ月の間、行動をともにした南極観測船「しらせ」だ。あの甲板から、白一面の海氷やペンギンを見て喜んだ。ヘリコプターに乗って昭和基地や南極大陸にも行った。健康維持のために寒さをこらえて甲板をせっせと走ったなあ…。しらせを降りてから2週間ほどしかたっていないのに、さまざまな思いが去来した。(気象予報士、共同通信=川村敦)

 ▽脳裏によみがえる圧倒的な光景

 私が帰国したのは3月20日。南極を離れたしらせが寄港したオーストラリア・シドニーから飛行機に乗り、新型コロナウイルスの影響で閑散とした成田空港に到着した。もともとは22日に帰国する予定だったのだが、感染対策で前倒しになった。

 約4カ月の長旅も、終わってみればあっという間だった。同行中は、いろんな自然の表情を見ることができた。海の上にどこまでも広がる海氷、ぐるっと見回してみても雪と空しか目に入らない南極大陸、野生のペンギン。昭和基地で見た白夜に、しらせから見たオーロラ、文字通り満天の星空。初めて見る光景に圧倒された。

南極観測船「しらせ」の接岸を取材し、原稿を書く記者=1月、昭和基地(第61次南極観測隊員の小野数也さん提供、共同)

 ▽観測隊で出会った愛すべき「変態」たち

 それと同等かそれ以上に興味深かったのが、観測隊のメンバーや海上自衛隊のしらせ乗組員たち―極地で活動する人間たちだった。

 研究の試料を得るために、こんな遠方まで来て、氷点下の寒さをこらえて海洋の観測をしたり、海底の泥を採ったりする研究者。これまで研究室で研究成果について話を聞くことはあったが、こうした現場を見るのは初めてだった。うまく試料を得られてうれしそうな表情をする彼らを見て、良い意味で「変態だな」と思った。

 観測隊参加の魅力にはまり、何度も参加する設営系のメンバー。会社を辞めてまで隊員の公募に応募して参加した人たち。偶然や成り行きが重なり南極までやってきたしらせ乗組員。自分とは違う人生の話を聞くのが楽しくて仕方なかった。こうした人たちと、昼間は仕事で密着し、夜は夜で飲みながらくだらない話もかなりした。観測隊の誰かが言っていた。「南極の魅力は自然が半分、人が半分」。至言だと思う。

 観測隊同行中の記者の仕事は、他社にスクープを書かれる「抜かれ」も、事件や事故の発生による呼び出しもない。泊まり勤務といったシフトもない。国内で働いているときのような雑用はほとんどなく、ただ目の前で見て面白いと感じたことを原稿にして送ればいいだけだった。圧倒的な光景を見てくる。南極人間たちに話を聞く。そうしてから日夜パソコンに向かい、画面上にある記事エディターのますをぼつぼつ埋めて写真を選ぶ。面倒ごとはあまりなく、いわば仕事の「おいしい部分」だけがぎゅっと濃縮された生活だった。

 ▽見たい景色多く、越冬隊への思いも

 まだまだ書ける話、書きたいことはあったが、時間が足りなかった。地球にはいろんなところがあって、いろんな人がいる。まだまだ見たい景色がたくさんある。私は南極の夏期間に活動する「夏隊」の同行だったが、昭和基地で約1年暮らす「越冬隊」にも興味が出てきた。

 私が死ぬまでにまだいくらか時間がありそうだが、そんなのは誰も保証してくれない。この記事を読んでいる読者もそうだ。この連載の第1回に書いた「人間いつ死ぬか分からんなあ、ちょっとでも興味があることはやっといたほうがいいなあ」という考えはますます強くなった。

 記者の仕事の神髄は「読者の代わりに見てくる」ことだと思っている。同行中、「ぼちぼち南極」だけでなく、新聞向けにもさまざまな記事を書いた。少しでも読者の耳目の役割を果たすことができただろうか。(終わり)

観測隊|南極観測のホームページ|国立極地研究所

https://www.nipr.ac.jp/antarctic/jare/

© 一般社団法人共同通信社