中村時広愛媛県知事に重大疑惑!【告発レポート】|長谷川学 「メモが出てきた!」加計問題で安倍首相の関与を匂わせる発言を行ったことでメディアからヒーローのようにもてはやされた中村時広愛媛県知事。真偽不明のメモを持ち出す手口は自身が関与する最悪の環境汚染事件でも用いられていた!自らの責任回避のために他人に責任を転嫁し、糾弾するあざとい政治手法と巨額の税金投入。国民の目が届かない地方政治の現場で進行する腐敗の実態を告発!

他人に責任を転嫁し、糾弾するあざとい政治手法

中村時広愛媛県知事(59)は2018年、最も名前を売った政治家である。

中村氏は、「加計学園」の獣医学部開設を巡り、「首相案件」などと記した愛媛県文書を公表。安倍首相をはじめ、官邸側が事実関係を否定すると、「職員が上げてきた書類を私は全面的に信頼している」 「国は正直に言われたらいいんじゃないか」と批判。一躍、時の人になった。

「ものを言う知事」。多くのメディアからヒーローのようにもてはやされた中村氏は、2018年11月、三度目となる県知事選挙に圧勝。直後の会見で「(国と地方の)不要な上下関係意識は弊害になる。正しいことを言う姿勢は何ら変わらない」と語り、改めて安倍政権との対決姿勢を示した。

だが、中村氏の言動に胡散臭さを感じた人は少なくない。たとえば、中村氏をよく知る加戸守行前愛媛県知事は、産経新聞(2018年5月23日付)に次のような談話を寄せた。

「(中村氏は)県内の自民党主流派と衝突している状態だ。(文書の公開には)そういうこともバックグラウンドにあったかもしれない」 「(首相と加計理事長が面会したという文書については)加計学園側が今治市に話したことを県が今治市から聞いて、メモにしている。伝聞の伝聞。信憑性は疑わしい」

興味深いのは日頃、安倍政権を厳しく批判している日刊ゲンダイの報道。同紙は2018年4月14日付の『「首相案件」文書認めた愛媛県知事が政権に矢を射る思惑』という記事で、こう書いた。

「メディアも安倍政権に矢を射る『ホワイトナイト』のような扱いだが、彼こそ県から加計学園に3年間で総額31億円もの補助金をポンと渡すことを決めた張本人だ」

同紙は、中村氏が「急にイケイケになった思惑は、中村知事の生き方を知れば理解できる」として、中村氏の経歴を以下のように紹介した。

中村氏の父親は、元松山市長の時雄氏(旧民社党)。中村氏は幼稚舎からの慶應ボーイで、慶大法学部を卒業後、三菱商事に入社。93年の新党ブームに乗り、日本新党公認で初当選したが、96年落選。99年には“親の七光”で松山市長選に勝利。2010年の知事選で加戸前知事の後継候補の座に収まり、当選した。

この経歴を踏まえ、同紙は今治市在住の「モリカケ共同追及プロジェクト」の黒川敦彦共同代表の次のコメントを載せた。 「一言でいえば“勝ち馬に乗る”のが上手な人。市長時代から人気絶頂だった橋下徹前大阪市長に接近」 「機を見るに敏で、今年11月に県知事選を控え、『この政権は持たない』と踏み、加計問題で“道連れ心中”はごめんと突き放し、火の粉を振り払っているのでしょう」

私は県知事選後の2018年11月に愛媛県を訪れ、地元の声を取材したが、いろんな人から似たような中村評を聞いた。

しかし、生き馬の目を抜く政治の世界において、機を見るに敏で、勝ち馬に乗ることは必ずしも悪いことではない。

私が見たところ、中村氏の問題は、自分の責任回避のために他人に責任を転嫁し、糾弾するあざとい政治手法にあると思う。

真偽不明の“部下のメモ”を持ち出す常套手段

あとで詳しく触れるが、中村氏は6年前にも、今回の加計学園問題と同じく“部下のメモ”を持ち出し、それをもとに他人を糾弾して、自らの責任を回避したことがある。

中村氏が11年間、市長を務めた松山市役所の関係者が語る。

「自分に火の粉が降りかかりそうになると、メディアが飛びつくことを見越して、真偽不明のメモを持ち出すのが中村氏の手口。それによって世間の関心をメモに移し、論点をすり替え、他人に責任を転嫁するのが中村氏の常套手段なのです。それを知っているので、加計学園のメモ騒動について地元では、“性懲りもなく、またやっているよ”と呆れています」

“柳の下にいつもドジョウは居らぬ”という諺がある。一度うまくいったからといって、次も同じ方法で成功すると考えるのは誤りという意味だが、中村氏はそうは思わぬらしい。

「中村氏は“一匹目のドジョウ”で味をしめ、同じ手法で加計学園問題で“二匹目のドジョウ”を捕ろうとしたのです」(前出関係者)

都合の悪いことには一切答えず。国民の目が届きにくいため地方政治は腐敗の温床と化している

環境汚染被害を拡大させた張本人

中村氏はどうやって一匹目のドジョウを捕まえたのか。発端は2013年4月25日の知事記者会見だった。

「この案件には、議員さんがうごめいていたようなこともあったと記憶しています」

中村氏は唐突にそう切り出したのだ。

中村氏が言った「この案件」とは、愛媛県松山市にある産業廃棄物処理業者(株)レッグが引き起こした大規模な環境汚染問題と、その対策事案のこと。

この汚染対策事業費は約70億円。加計学園への愛媛県と今治市の補助金約93億円に匹敵する規模だ。汚染対策費はすべて税金。当然ながら、関係者の責任追及に地元の関心が集まった。

焦点は中村氏の責任問題だった。

というのも、中村氏は松山市長時代に、埋立超過違反などを繰り返す問題企業のレッグに対し、免許取り消しなどの必要な行政命令を出すのを怠ったばかりか、事業廃止を届け出たレッグに新たに事業再開許可を出して、環境汚染被害を拡大させた張本人だからだ。

レッグ処理場の周辺住民が語る。

「処理場に大量の廃棄物が山積みされ、あまりに量が多過ぎるので、中村市長当時の市役所に何度も“ストップさせてくれ”と頼みに行ったが、免許の取り消しなどの有効な対策を取ってくれなかった。カラスが群れて害虫が大量発生、廃棄物が風で飛んだりして、とくに夏は難儀しました。そうしているうちに水銀や汚染水が出て、大きな環境汚染問題になったのです」

この住民の指摘にある廃棄物の飛散と苦情申し立ては、08年4月のこと。また、水銀は10年8月に処理場の監視井戸から検出された。いずれも中村市長時代の出来事だ。

度重なる違反行為に対して行政命令を行わない

レッグ処理場を巡るトラブルは枚挙に遑がない。04年10月には、レッグ処理場の埋立超過が発覚し、市は口頭・文書指導を実施。このときを含め、中村市長時代に埋立超過等の違反─口頭・文書指導が実に13回も繰り返されている。ところが度重なる違反行為にもかかわらず、中村氏は免許取り消し等、法的強制力のある行政命令を一度も出さず、事態の抜本的解決を怠った。

06年度から始まった処理場の維持管理積立金制度に関しても、レッグの対応はひどかった。この制度は、処理場の埋立終了後も維持管理が続けられるよう産廃業者に維持管理費用を積み立てさせるもの。ところがレッグは資金難から06年以降、3年間も積立金を滞納した。

09年には、レッグ処理場に埋め立てできる容量が160立方メートルしか残っていないことが発覚。同年4月にレッグが市に業務廃止届を提出したにもかかわらず、わずか2カ月後に中村市長はレッグに業務再開許可を出した。「業務継続は不可能」と申し出たレッグに、なぜ業務再開許可を出したのか。

重機で廃棄物を圧縮し、地ならしする「転圧」という作業等によって埋立容量が確保できたというのがその理由だった。

ところが業務再開後の11年5月、今度はレッグ処理場から灰濁した汚染水が河川などに流出したのが確認された。 「原因は無理な転圧。それによって処理場の下の地下水路の遮蔽口が破損し、破損個所から汚染水が流出したのです」(ある松山市議)

この流出事故は、現在の野志克仁松山市長時代の出来事だが、転圧による再開を許可した中村前市長の対応に問題があったのは明らか。

流出事故を踏まえ、中村氏から問題を引き継いだ野志氏が行政命令を連発し、レッグの免許を取り消したのと対照的だ。

中村氏が「議員がうごめいていた」と言い出したのは、こうした中村氏の一連の対応の不備を松山市が13年4月に公式に認めたのがきっかけとみられる。

中村氏の会見の1カ月前の13年3月、松山市はレッグ問題処理を巡り、国から補助金を引き出すため、レッグ処理場汚染対策事業の「実施計画」を環境省に提出。環境大臣の同意を得た。これにより約70億円の汚染対策事業総額のうち、国が約32億円を補助することが決まり、地元の負担は約39億円(県約12億円、松山市約27億円)となった。

環境大臣の同意を得た松山市は、同年4月10日、実施計画を公表した。実施計画は全文73ページという長文。市の対応状況などが詳しく検証されていたが、そのなかでとくに注目を集めたのが「市の指導監督権限の行使の妥当性」という項目だった。そこでは、当時の中村市長の対応が厳しく批判されていたのだ。

問題の大きさ、根深さ、悪質さ

少々長くなるが重要な指摘なので、一部を抜粋する。なお、意味が通るように( )内に言葉を補足した。

「(レッグ処分場の地下に)地下水路があるにもかかわらず、その破損に繋がるおそれのある場内の転圧行為について何ら指導を行っておらず、埋立容量増加や処分業の一部再開などの許可更新を続けていた」

「最終処分場の容量超過や地元からの(廃棄物の)飛散流出などの苦情があった時も、口頭指導や文書指導で済ませているなど、本来なら施設使用停止命令等によって根本的な修繕をさせるべき必要があった」

「市の権限行使の大きな問題点は、対象事案についてそのほとんどを口頭指導や文書指導といった『行政指導』の範囲で改善を要求している点が挙げられる」

「『行政指導』は、事業者に対して任意の改善を期待するものであり、初めて指導する場合や軽微な違反の場合には有効であるが、指導しても改善が見られず、同様の違反内容を繰り返しているような状況であれば、適切な時期に改善命令等の法的拘束力のある行政処分を行うべきであった」

そのうえで実施計画書は、当時の中村松山市長と松山市の対応を「適切な権限を適切な時期に行使したとは言い難い。したがって、市の権限行使の妥当性については不適当であったと認められる」と厳しく批判したのである。

なお、実施計画の「今後講じようとする措置等」の項目には「処分を行った者等及び排出事業者等への責任追及」 「費用求償」 「刑事告発」といった言葉が並び、ここからも問題の大きさ、根深さ、悪質さがうかがえる。

「自分は悪くない、悪いのは業者と市議」と居直る

先の松山市関係者が語る。

「松山市始まって以来、最大、最悪の大規模環境汚染対策事案でした。当然のことながら、現職の野志市長と中村前市長の責任問題に、松山市民と愛媛県民の関心が集まりました」

野志市長は元南海放送アナウンサー。中村氏の勧めで2010年に中村氏の後任として市長選に立候補し、知事に転身した中村氏とのダブル選挙で3回連続で当選した側近中の側近である。

その野志氏ですら、中村前市長の対応が不適切だったことを認める実施計画を提出せざるを得ず、しかもそれに環境大臣、つまり国も同意したのである。

中村氏が慌てたとしても無理はない。

中村氏が記者会見で「議員がうごめいていた」と発言したのは、実施計画発表の15日後だった。そのタイミングから、中村氏の思惑が透けて見える。

中村氏は議員のうごめきに言及したあと、「(市長時代の自分の対応には)法的には問題がなかった」と居直り、こう言い放った。 「事態を招いた、発生せしめた当事者、あるいは関係者をあぶり出すということは絶対に必要なことだと思います。そして、可能な限り、そこに求償を求めていく、警察、法廷、こうした場で徹底的に明らかにしていく必要があると思います」

自分は悪くない、悪いのは業者と市議なので、彼らの責任を追及すべきだというのである。

さらに13年11月、中村氏は追い打ちをかけるように「複数の市議が企業側に立って便宜を図るよう市に圧力をかけ続けた」と発言。「市議会の関与を明らかにしないと県費の負担は難しい」と言い、レッグ処理場の汚染対策費を県が負担しない可能性にまで言及した。

これに対し、松山市の廃棄物対策課は「市議の口利きや市職員がかかわったという事案は把握していないし、書類も残っていない」と中村氏の発言内容を否定。

突然示された”証拠”「関係部局が相談したメモが残っている」

すると中村氏は「うごめき」の証拠として、市長時代の市役所の「部下から上がっている文書がある」と言い出し、その後、「関係部局が相談したメモが残っている」と言い換えた。

同年12月、市議会と野志市長は中村氏にメモの開示を要求したが、中村氏は「関与した議員が名乗り出るべきだ」として拒否。

市議会からは、「知事は松山市長時代に自ら解決する立場にあった」「知事は問題を複雑化し、解決を遅らせている。堂々と知事自ら名前を出すべきだ」と批判が噴出した。

すると、年が改まった14年の元日、愛媛新聞が一面トップで、県会議員のK氏(紙面では実名)が松山市議在任中にレッグ関係者同席で市職員と話した、と大々的に報じたのだ。

それによると、K氏は市議在任中の09年に、レッグ担当者を同席させ市役所で担当職員と面会、またK氏の関連政治団体はレッグから12万円の献金を受けていたという。

K氏は同紙の取材に、レッグ関係者同席で職員と話したことを認めたが、圧力は否定。「(再開許可)基準に関する話をした。できることはできる、できないことはできないという内容だった」と証言している。

また、K氏は09年に市が処分場再開を許可したときの自分の心境についても説明。「職員から許可の説明を受けた際、不安を感じ、『大丈夫か』と訊いた」と同紙に語っている。早急な再開許可に、むしろ違和感を持ったということらしい。

のちに明らかになったところによると、K氏が同席したのは09年5月19日。レッグが業務廃止届を提出(4月14日)した約一カ月後のことだ。その後、5月31日にレッグが転圧を実施し、それを受けて中村市長が6月16日にレッグに業務再開許可を出している。

この記事で目を引くのは、同紙に掲載された中村知事のコメントだ。中村氏は「個別の名前のコメントは控える」としながら、「市は法律に基づき適正に対応した」と自らを正当化する一方、返す刀で「仮に業者を同席させ権限を持つ職員を呼べば、どんな言葉だろうが、圧力だ」とK氏を批判したのだ。

だが、少し考えれば分かることだが、産廃業者に対する許認可権や指導、処分の権限は最終的に松山市長にある。

中村氏の言う「市議のうごめき」がK氏を指しているのだとしても、市議にはレッグ再開許可について何の権限もないのだから、K氏の行動と再開許可とは何の関係もないはずだ。

百歩譲って、市議の圧力なるものが市政に影響を与えたとしよう。その場合、中村氏と「権限を持つ職員」は、市議の圧力に屈して再開許可を出したということになる。

ところが、中村氏は当時の市について「法律に基づき適正に対応した」と言っており、野志市長も14年1月14日の会見で「埋立再開許可は法に基づき適正に判断した。判断が甘くなったことはない」と否定しているのだ。

これでは、中村氏が何を言わんとしているのかさっぱり分からない。結局のところ、中村氏の主張は子供だましの論理のすり替えに過ぎないと言わざるを得ない。

地元政界関係者はこう語る。

「K氏は松山市長選に出馬して野志市長と争ったことがあり、反中村の急先鋒。愛媛新聞の記事は、中村氏自身がリークして書かせたのではないか。そう勘繰られても仕方がないだろう」

発言には不可解な点が多い(画像は愛媛県庁のHPより)

怪文書まがいの代物を公表

さらに中村氏は“仕掛け”を続けた。

14年2月3日、愛媛新聞が松山市議全員にアンケート調査をした結果、41人全員がレッグからの献金や関与を否定したと報道。

すると中村氏は2月18日、メモの概要と称するA4判一枚のペーパーを公表し、記者会見で反論した。

ところが、中村氏が公表したのは怪文書まがいの代物だった。

ペーパーに記された項目は、たったの三つ。一項目目は、名前は伏せてあるがK氏に関するもので、K氏の他、レッグ関係者と民間会社社長が同席し、「許可更新させてほしい」と要望、市職員二名が対応したなどと記されていてそれなりに詳しいが、市側の対応を読むと「現状では再開は認めにくい」と発言しており、中村氏が指摘する“圧力”なるものは一蹴されている。

二項目目の「レッグに関して『口利き』と思われる働きかけのあった議員」についての記述は、「〇〇議員、△△議員、●●議員、▲▲議員」とあるだけ。

三項目目も、「△△議員は許可更新について、『レッグがつぶれれば市費を投入することになるが、その時は反対する。』とかなり強く発言」で終わり。

中村氏は、市職員が作成した、もとのメモは三枚あるとしたが、それがどういう形で上がってきたかについては「覚えていないが、探したら出てきた」と曖昧な発言をした。

また発表したメモ概要は、中村氏がメモを参考にパソコンで打ち直したものという。

しかし、それほど自信があるなら市議の氏名を明かせばいいものを、中村氏はなぜか匿名にこだわった。

その理由を中村氏は、マスコミ向けに別途配布したA4判一枚のペーパーのなかで、次のように説明している。

「名前の公表に伴う名誉毀損、メモの真偽や所有の問題を理由とした解明不着手、公務員の守秘義務論議など、真実追及の論点をすり替えるためのあらゆる手段が講じられてくることも考えておかねばなりません」

さらにペーパーには、「今後は刑事告発を念頭に松山市と警察などの関係機関と協議が進められる」として、「関係機関から要請があれば、メモを提供するなど、全面的に協力していく」との記述もある。

知事の不可解な言動真相解明の支障に

だが、その後の松山市と市議会の要請にもかかわらず、いまだにメモは提供されておらず、刑事告発もない。本当にメモが存在するかどうかの客観的証明すらできない状態が続いているのだ。

「加計学園問題でも、中村氏は県職員のメモや備忘録の現物を公表していません。そのやり方は六年前のレッグ問題のときと瓜二つです」(先の松山市議)

別の松山市議も、私にこう語った。

「環境汚染問題と市議が圧力をかけたかどうかはまったくの別問題で、知事は市議会に責任を転嫁しようとしたのです。そもそも、レッグの事業再開許可の決裁は中村市長時代のこと。他人に責任を転嫁したり、マスコミを使って自分をより良く見せようとするのは、中村氏のいつものやり方です」

松山市役所はメモ概要公表後、4回目となる内部調査を実施したが、メモの内容に相当する内部文書は見つからなかった。

また、16年9月14日の市議会の答弁で、野志市長は議員関与の有無について「把握していない」と発言。関与ありと主張しているのは中村氏ただ一人であることが浮き彫りになった。

メモを公表しないで市議会を一方的に攻撃する中村氏に対し、松山市議会は「いずれにしてもメモを表に出せばハッキリする」(保守系の松山市議)との理由から、中村氏にメモの返還を求める決議を賛成多数で可決。 「メモが本物なら、市が所管すべき公文書の行政情報に当たるので、中村氏に返還を求めた」(同前)のだ。

決議文は「レッグ問題は、当時の松山市長の不適切、不十分な行政対応が原因となり、ここまで問題が深刻化した人災である」と指摘。

そのうえで、「レッグ問題の発生とは全く関係がないことを認めながら、未だに固執し続ける議員関与や圧力、また、根拠のない誹謗中傷、責任転嫁など、問題解決、真相解明に向けた取り組みに支障となっている知事による不可解な言動に終止符を打ち、さらには知事による市政への不当介入に歯止めをかけるため」「不自然極まりない知事主張のメモの返還」を求めたのだ。

返還決議を「ばかばかしい」と断固拒否

ところがこの返還決議に対し、中村氏は「ばかばかしい。議案提出者の一人はメモにある当事者」 「個人のメモは公文書ではない」として、返還を拒否した。公文書ではないから返還義務はないというのだ。

だが、この理屈はおかしい。「松山市文書取扱規則」を確認すると、公文書とは「職員が職務上作成し、又は取得した文書」で「職員が組織的に用いるものとして保有しているものをいう」と定めている。

これを中村氏のケースに当てはめるとどうなるか。中村氏は「部下から上がっている文書がある」と発言し、その後、「関係部局が相談したメモ」と言い換えている。職員が作成し、関係部局が相談した、つまり組織的に保有していたとなれば、これはどう解釈しても公文書そのものではないか。

また、最高裁判例(07年12月25日決定)でも、公務員作成の備忘録メモを公文書とみなしている。

そもそも中村氏の発言には嘘が少なくない。たとえば、14年3月4日の愛媛県定例議会での発言。中村氏はレッグに対し、「度重なる行政措置命令を出したにもかかわらず、このレッグという会社は全く従わずに、そして問題が起こった」 「私も当時の市長として、その措置命令に従わすことができなかった」と発言したが、既述のとおり、中村市長時代にレッグに行政命令が出されたことは一度もない。すべてが強制力のない行政指導止まりだった。

もっと呆れるのは、同じ日の議会で、中村氏がレッグについて「得体の知れなさを感じていた」と話していること。そんな会社と知りながら、なぜ中村氏は、だらだらと「指導」を繰り返すだけで済ませていたのか。

私はレッグで役員を務めたことがある人物に取材したが、その実態は驚くべきものだった。この人物がレッグの役員をしていた期間は、中村氏の市長在任時期とピッタリ重なる。

元役員は私にこう話した。

「私は社長に頼まれて何年間かレッグの役員をしましたが、社長以外にどんな役員がいるのか、よく知りませんでした。社長は土地持ちで、廃棄物処理については素人でした」

この元役員によると、レッグ処理場は搬入されたプラスチック廃棄物を再利用することで経営を成り立たせる予定だったという。

「ところが、プラスチックに大量の土砂が混じっていたため、プラスチックの再利用なんて到底無理でした。中村市長時代にはすでに経営は破綻していたと思います。何しろ、ある日、私がレッグの本社事務所に行ったら、事務所自体がなくなっていてビックリしたほどです」

話の内容からすると、役員会議すらまともに開かれていなかったようだ。

市民にのしかかる夥しい負担

念のために松山税務署に提出されたレッグの確定申告書を見ると、07年度の所得金額はわずか249万円。08年度の所得金額は何と3080万円の赤字だった。

当時の松山市長は中村氏だが、こんな会社になぜ業務再開許可を出したのか、理解に苦しむ。

レッグ問題の経緯に詳しい元松山市議は言う。

「ボーリング調査の結果、処理場のシートが破れ、地下水路に廃液が流れたことが確認されました。廃液にはヒ素、水銀、鉛が含まれていました。なぜ、中村氏はレッグの業務再開許可を出したのか。レッグが実質破綻状態のため、行政が汚染対策事業を代執行するしかなく、夥しい負担を市民にかけてしまいました」

昨年11月、松山市はレッグ処理場からの汚水流出防止などの対策工事の終了を発表。また、処分場からの放流水や下流域の井戸水の水質については、いずれも基準値を満たしているとした。

だがレッグ問題が終わったわけではない。市は工事終了後も、処分場の閉鎖まで20~30年間、施設を維持管理することになるという。しかも埋立地には、いまも約25万立方メートルの廃棄物が埋まっており、維持管理費用だけで、少なくとも毎年3000万円かかるという。

説明責任を全く果たさない

環境汚染についての不安も完全になくなったわけではない。ある周辺住民は、「市が“基準値内”と発表しているからそれを信じるしかないが、本当に大丈夫なのか不安は残ります」と話していた。

私は中村知事の個人事務所に10項目にわたる質問状を送り、回答を求めた。

ところが、回答期限が過ぎてもまったくの音無し。期限を2日間延長し、その間、事務所に回答を催促したが、事務所側は「あとで担当者から連絡させます」と答えるものの、結局、回答はなく、電話一本かけてこなかった。

中村氏に取材したことがある知人の記者によると、「加計学園問題で安倍首相批判の記事だと言ったら、初対面なのに家に上げてくれて取材に応じた」そうだ。

都合の良い取材には積極的に応じるが、都合の悪い問題には逃げの一手で、説明責任を果たさない。 これが「ものを言う知事」の本当の姿だとしたら、政治家として信用に値しない人物ということになろうか。

それにしても、中村氏の責任はあまりに重大である。今後も中村氏の責任を追及していくつもりだ。

中村時広愛媛県知事の虚偽答弁!【告発レポート第2弾】へ続く

前代未聞!当該論文が掲載された月刊『Hanada』19年3月号の愛媛新聞広告(下)。「中村愛媛県知事に重大疑惑」の記事に対して愛媛新聞からクレームが付き該当箇所を黒塗りにして掲載された。

著者略歴

長谷川学

中村時広愛媛県知事の虚偽答弁!【告発レポート第2弾】はこちら

中村時広愛媛県知事の大罪!【告発レポート第3弾】はこちら

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