「素養」も「資格」もない “ある種”ジャーナリスト青木理|藤原かずえ 安倍政権は「極右反動のウソつき恥知らず政権」であり、「何があっても支持する連中はまるで新興宗教の信者。ならばそうした連中は極右反動のウソつき恥知らず教――長いので略せば『アホダラ教』の信者か」と『サンデー毎日』(2月23日号)で意味不明な珍説を披露した青木理氏。「気骨のジャーナリスト」と持ち上げるメディアもあるが、本当にそうなのか。青木理氏の言説【国内政治編】を論理的に分析!“ある種”ジャーナリストの正体とは…。

「もう少し選ばれては?」(2019年12月25日)では「宣伝になるのは避けたいので誌名は記しません」としながら、「あまりに下品で引用するのもはばかられるのですが」などと弊誌2月号の「見出し」だけを見て批判。読みもしないで、批判する。 ジャーナリストであるならば、月刊『Hanada』と記し「骨」のある批判をすべきだろう。

ポジショントークの正体

青木理氏は、地上波テレビ放送の情報番組で大活躍している売れっ子コメンテーターです。『日本会議の正体』 『安倍三代』などの著書でも知られる青木氏は、ジャーナリズムの使命は政権チェックにあると公言し、来る日も来る日もひたすら安倍政権を斬りまくっています。

もちろん、政権チェックはジャーナリズムの重要なミッションの一つではありますが、ジャーナリズムの本来のミッションは、政権にとって有利か不利かにかかわらず、正しい情報を正しい論理を用いて分析し、最終的に正しい結論を導いて情報受信者に提供することにあります。

民主国の主権者である国民は、各種メディアを媒介して得られた情報を十分に吟味することで、国民の代表である議員を選択することになります。

その意味で、ジャーナリズムが政権を批判するだけの一方的な結論のみを提示することは、必ずしも国民の利益に適うものではありません。政権批判に終始する青木氏のジャーナリズムは、十分に情報を得ることができない情報弱者をミスリードしている可能性があります。

加えて、青木氏のジャーナリズムには多くの疑義が存在します。どんな話題でも、いつのまにか安倍政権や日本社会に対する批判に変えてしまう青木理氏のマジカルな言説は、いわゆる「ポジショントーク」である可能性があります。

ポジショントークとは、前提となる情報から特定の立場にとって好ましい結論のみを導くことを意味する和製英語です。

ここで、与えられた情報から必ず特定の立場にとって好ましい結論を導くには、論証抜きに結論を出す(論証不全)か、前提となる情報に操作を加えて結論を出す(論点歪曲・論点隠蔽)か、情報を分析する論理に操作を加えて結論を出す(論点相違・論点変更)ことが必要となります。

実は、青木氏の【論 argument】には、これらの操作が“ある種”ふんだんに加えられています。本稿では、国内政治事案に限定して、青木氏の言説の実例を挙げ、あくまでも論理的に分析してみたいと思います。

アジテーションと陰謀論

青木氏は、しばしば完備していない前提から強引に結論を導いて主張します。

〈安保法案採決〉
安倍政権は、戦後70年の日本の矜持を根本から引っ繰り返している。それだけでなく、完全に違憲と言われているのに採決を強行する。そういう立憲主義を無視する政権を、はたしてこのまま存続させるべきなのか。

怒りを持続させて、この政権を認めるべきか否かを僕らの側が議論する段階に入ってくる(サンデーモーニング、2015年9月13日)。

[注釈]安保法案が採決される直前の日曜日、サンモニ初登場の青木氏は、実際には論証とは言えない【個人的確信に基づく論証 personal assurance】により、番組の論調を代弁する御用コメントを連発しました。

この言説の前提である「安倍政権が日本の矜持を引っ繰り返している」「完全に違憲」というのは青木氏の単なる個人的確信であり、こういった根拠から結論を導く誤謬は、青木氏の言説に頻繁に認められます。

なお、「怒りを持続させて」は明らかな【群集操作/アジテーション crowd manipulation】、「僕らの側」はポジショントークの主語であり、放送法に抵触するものと考えます。

〈参院選自民党圧勝〉
安倍政権のコアな支持層である日本会議の主張を検討していくと、政教分離とか国民主権を明確に否定する方々がかなりいる。今回の参院選は、結果的に凄く大きな分水嶺になった可能性もある。

まだ遅くはないので、改憲の発議をするなかで大丈夫なのか慎重に見ていないと、ゆでガエルがゆであがって死んじゃう状況にこの国がなりつつある(モーニングショー、16年7月17日)。

[注釈]『日本会議の正体』の著者である青木氏は、まるで日本会議が日本を支配しているかのような【陰謀論 conspiracy theory】を頻繁に繰り返します。強権支配者が証拠を隠蔽しているとする陰謀論は、論証とは言えない【立証不能論証 unprovable argument】です。

陰謀論を使えば、あらゆる虚偽を造り出して政権の批判を行うことが可能です。

「森友問題」無知に基づく論証

〈森友問題〉
籠池氏は、首相夫人の昭恵氏に適時報告していたと証言した。安倍氏は「私や妻が何らかの形でかかわっていたら、私は首相も議員も辞める」と言った。安倍氏がやることは二つだ。一つは辞めるか、もう一つはそうでないのなら反証をきちんとすることだ。どちらもしないというのは納得できない(サンモニ、17年4月30日)。

[注釈]一見してこの言説は、「首相夫人がかかわっていたら安倍首相は辞任しなければならない」(大前提)→「首相夫人はかかわっていた」(小前提)→「安倍首相は辞任しなければならない」(結論)という三段論法に見えますが、実際には単なる詭弁にすぎません。

大前提の「かかわっている」は「問題にかかわっている」という意味であり、小前提の「かかわっている」は「籠池氏にかかわっている」という意味、論証が成立しないからです。首相夫人は籠池氏にかかわっている証拠はありますが、問題にかかわっている証拠はありません。

正しい三段論法では「安倍氏」 「夫人がかかわっている」 「辞任する」という三つの概念を連携させて結論を導きますが、この言説では「安倍氏」 「夫人が籠池氏にかかわっている」 「夫人が問題にかかわっている」 「辞任する」という四つの概念を連携させています。

これは【四個概念の誤謬 four-term fallacy】と呼ばれる論証不全です。

〈憲法改正〉
安倍氏は憲法を変えたいんだ。はっきり言えばどこでもいい。憲法を守らなければならない最高権力者が「とにかく変えたいんだ」と言って変えるということは、はたしてよいのか(サンモニ、17年6月25日)。

[注釈]この言説も、「安倍氏は憲法を守らなければいけない」(大前提)→「安倍氏は憲法を守らずに変えたい」(小前提)→「安倍氏はよくない」(結論)という三段論法に見えますが、実際には四個概念の誤謬です。

大前提の「守る」は憲法を遵守するという意味の「遵る」、小前提の「守る」は守護するという意味の「護る」であり、論証が成立しないからです。

総理大臣は、憲法99条の規定により憲法を遵守する義務がありますが、憲法を改正から守護したとしたら憲法96条違反です。

青木氏が、このような憲法の意味を理解しないでこの言説を主張していたとしたらジャーナリストとしての素養はなく、理解して主張していたとしたらジャーナリストとしての資格はありません。

〈森友問題〉
森友問題は、きちんと記録さえ残して公開していれば一発で解決している問題だ。それが官僚の忖度、あるいは政権の指示なのか、ここまで隠されると、後者だったのではないかと思われても仕方がない(サンモニ、18年2月18日)。

[注釈]これは、前提の真が証明されていないことを根拠に、その言説は偽であると主張する【無知に基づく論証 argument from ignorance】という誤謬です。

「ある種」連発で完璧な印象操作

青木氏は、しばしば前提となる情報を歪曲して結論を導きます。

〈相模原障害者施設殺傷事件〉
この事件がいまなぜ起きたのか。弱者や少数者に対して、ヘイトスピーチを含めてひどいことをしている社会、ある種、政治がそれを追認しているのではないか。

政治の在り様がこの事件に投影されているのではないかということを、裁判の過程で僕らは考えていかなければいけない(サンモニ、17年2月26日)。

[注釈]青木理氏は言説において、「ある種」という言葉を極めて頻繁に使用します。この言葉には、実際にはそうではないことを、あたかもそうであるかのように曖昧に印象付ける効果があります。

この例では、この【曖昧な言葉使い weasel wording】を悪用して、政治がヘイトスピーチを追認し、それが相模原障害者施設殺傷事件の原因になったかのように【心理操作 psychological manipulation】して、それを前提としています。

〈前川喜平氏〉
前川喜平氏は、僕自身の感想だが、ある種、爽やかと言ったら言い過ぎかもしれないが、正義感、それからある種の誠意というか、こういう官僚もいるんだなと。「あるものがないというのはおかしい」という素直な憤り、正義感というのを僕は憶えた。

少なくとも文科省側は、「加計学園をやれ(採用しろ)」ということを共通認識として持たされていた、と前川さんが言っているのは事実だと思う。

安倍総理が野党に「印象操作」とよく言うのは、自身が印象操作をしているという印象があって、たとえば前川さんが出会い系バーに通っていたというのも印象操作だ(Mショー、17年5月30日)。

[注釈]青木氏が展開しているのは、「爽やか」 「正義感」 「誠意」という青木氏個人が造り上げた前川氏の人格に関する好印象を根拠にして結論を導く【人格論証 ad hominem】に他なりません。これを印象操作と言います。

前川氏が出会い系バーに通っていたのは、本人も認める事実です。「安倍総理が野党に『印象操作』とよく言うのは、自身が印象操作をしているという印象がある」というのも完璧な印象操作です(笑)。

〈独裁に走る社会〉
独裁であればあるほど、市民社会は不自由になっていく。たとえば中国がそうだし、その究極型が北朝鮮だ。

他人事でなく、日本も一強とか官邸主導と言われている状況が続いていて、たとえば森友・加計学園の問題で、ある種、支援者だったり友人を依怙贔屓しようとしたら、官僚も忖度して公文書まで改竄したりとか、首相の御意向で行政が歪んだということが起きている。

日本でもある種、非常に右派的なポピュリズムを望む人たちが現政権を支えて、一強の下でこういうことが起きた(サンモニ、18年3月25日)。

[注釈]政治体制が全く異なる日本と中国・北朝鮮を【根拠薄弱なアナロジー weak analogy】で無理矢理に類比し、「ある種」という言葉で、安倍政権が独裁政権であるというメディアが造った非常識な印象を無理矢理に事実認定しています。

鳴き続けるのがジャーナリストの仕事

〈自民党総裁選〉
異論とか反論とか少数者の考えというのを、ある種の強権でねじ伏せ、封じて、聴こうとしない政権の体質。政権とか権力者の在り様が、今回の自民党総裁選で問われていると考えると物凄く重要な総裁選だ(サンモニ、18年9月16日)。

[注釈]典型的な【論敵の悪魔化 demonization】です。安倍政権は、むしろ権力の行使に慎重で他者の意見を聴く民主的な政権であり、いわゆる「強行採決」のペースも民主党政権の半分程度に過ぎません。

何をもって強権なのか、メディアの印象操作は公正な社会を破壊する極めて重大な問題です。

〈改正入管法可決〉
ひどい。本当にひどい。特定秘密保護法も安保法も共謀罪もひどかったが、今回の国会審議の通し方は最悪だ。こんなことやっていたら、国会はいらないっていうことになる(サンモニ、18年12月9日)。

[注釈]青木氏は「ひどい」 「最悪」などの【評価型言葉 evaluating word】を連呼して政府批判していますが、論理的には何の意味もありません。批判を行う場合には、事実を根拠にすべきです。

〈あいちトリエンナーレ〉
展示中止は極めて残念だ。気になったのは政治家、ある種、芸術への政治の介入だ。政府に批判的な芸術に公的資金を入れるのはどうかという議論もあるが、これは別に政府の金ではない。税金だ。独裁国家でもあるまいし。ある種、日本社会全体で、日本の表現に対する不自由展を演じてしまった(サンモニ、19年8月4日)。

[注釈]この件において、政治家は誰も出品者の精神的自由を奪っていません。芸術という名の下に、公共の福祉に反するヘイト表現で公金を得るという経済的自由が否定されただけです。事実を歪曲して前提とするこの言説は【ストローマン論証 the strawman】です。

なお、日本のような法治国家では、税金の運用は法律に従います。税金は、テレビのコメンテーターや活動家のような声の大きい人たちだけのものではありません。

青木氏は、しばしば論証の前提となる情報を恣意的に選んで結論を導きます。

〈新春討論〉
小松靖アナ:そこまで安倍内閣は史上最悪の政権だと言うのであれば、対案がないと説得力が伴わない。で、その話をすると「私は政治記者ではないので」と言うが、そんなことは関係ない。社会部の記者としてこれまでの知見を集結すれば、一つの答えは十分に出せると思う。

青木理氏:ジャーナリストという存在が対案を出すべき存在なのか、と僕はずっと疑問に思っている。鳴き続けるのが僕らジャーナリストの仕事であって、対案を出すのはテレビ朝日・番組・政治学者の責任かもしれないが、少なくともジャーナリストという立場で対案を出すことを僕は仕事とは思っていない(BS朝日新春討論、18年1月1日)。

[注釈]青木氏の言うとおり、批判を行う場合に基本的に対案は必要ありません。しかしながら、小松アナの言うとおり、青木氏が「史上最悪」という比較を結論に含めている以上は対案を示す責任があります。

自説の論拠を隠し、高らかに結論だけを述べる【チェリー・ピッキング cherry picking】【情報操作 information manipulation】であり、ジャーナリズムではありません。

〈辺野古基地〉
今日はまさに選挙だ。辺野古の埋め立ては2兆数千億かかる。我々の税金だ。このような膨大な金を使って、沖縄をある種、押し付けてやっていいのか。大きな争点だ。僕もこれから投票に行く(サンモニ、19年7月21日)。

[注釈]多くの論点がある辺野古基地問題について、参院選当日に一方的な政治宣伝を行い、辺野古基地に反対する野党への投票を暗に呼び掛ける青木氏です。

これは、自説に好都合な情報のみをテレビ放送を利用して有権者に与えて宣伝する【カード・スタッキング card stacking】であり、間接民主主義に対する公然とした挑戦に他なりません。

相当に質の低いカーボンコピー

青木氏は、しばしば誤った原理を使って、前提から結論を導きます。

〈安倍晋三氏〉
恐ろしくつまらない男だった。少なくとも、ノンフィクションライターの琴線をくすぐるようなエピソードはほとんど持ち合わせていない男だった。あえて評するなら、ごくごく育ちのいいおぼっちゃまにすぎなかった。

[注釈]これは、自著『安倍三代』の出版に関連して、安倍晋三氏について語った青木氏の説明です。個人の尊厳を傷つけるような評価型言葉による【悪口 name calling】の羅列ですが、このうち大きな問題は「劣化コピー」という言葉です。

これは、出自に基づいて人を評価する【状況対人論証 ad hominem circumstantial】によるヘイト表現に他なりません。

実際に同書には、「晋三がいくら岸信介を敬愛し、それを手本にしていたとしても、素直に言って、実態は相当に質の低いカーボンコピーである」とも書かれています。

首相は国民全体に奉仕する公務員であり、国民は罷免する権利を持ちますが、その人権を侵すヘイト表現は許容されるものではありません。

〈籠池夫妻逮捕〉
籠池氏は、もともとは安倍政権の熱烈な応援団で、安倍氏の側も奥さんの昭恵氏が非常に密接に付き合っていた。日本の右派というか、ある種のこんな人たちなのかということが見えたということで、いまの社会状況を象徴している事件だ(Mショー、17年8月1日)。

[注釈]少数の人物が共通の属性を持っていることを根拠にして、その属性を持つ大きな集団を一般化するのは【軽率な概括 hasty generalization】に他なりません。差別主義者がしばしば使う誤謬です。

軽率で差別的な排他主義者

〈『新潮45』LGBT問題〉
「右寄り」とは、要するに排外主義だ。弱者だったり隣国だったりとか異民族だったりとかを、「日本は凄い」と「こいつらはダメだ」と叩くことで、ある種、自分たちに不安がある人たちを喜ばせるようなネトウヨとかと近いが、排外主義的な路線、それが一定程度の読者がいるというところにターゲットを絞っている出版・雑誌というのが増えている(Mショー、18年9月25日)。

[注釈]極めて少数の排外主義者を根拠にして、「右寄りは排外主義」と一般化するのも軽率な概括であり、それによって差別的なレッテルを貼るのは状況対人論証に他なりません。このような主張をする青木氏のほうが、よっぽど【排他主義者 exclusionist】です。

〈天皇誕生日会見〉
天皇の言動が政治性を帯びてはいけないし、帯びさせてはいけない。しかし、災害・沖縄・反戦・非戦・外国人労働者について触れている。ある種、政治的だ。

しかし、ごく当たり前のことだ。政治性を持ってはいけないが、戦争を知っている世代のある種の代表として言い続けたことを、政治性を帯びさせないでどう耳を傾けるかが重要だ。

一方、排外主義とか、ある種の歴史修正主義とかが横行していて、どうも日本の場合は政権にもその傾向が強いなかで、逆に天皇がごく常識的なメッセージの発信者となっている。いまの日本社会の病が逆に映し出されている(サンモニ、18年12月23日)。

[注釈]青木氏は政権批判のために、政治利用してはいけないと自らが主張する天皇の言動を政治利用して【権威論証 appeal to authority】を展開しています。

言っていることとやっていることが違うことは世間一般によくあることですが、青木氏のように言っていることと言っていることが違うことはそう簡単にはありません(笑)。

〈吉本新喜劇〉
安倍首相が吉本新喜劇に出た。そもそも、「庶民が権力者を茶化して皮肉って笑う」のが本来のお笑いだ。そこに首相を呼ぶのはどうなのか(サンモニ、19年4月28日)。

[注釈]これは、論者が個人的確信で本物を定義する【本物のスコットランド人はそうはしない no true Scotsman】と呼ばれる誤謬です。青木氏はテレビを使って、お笑いの表現の自由に圧力を加えています。

オチはいつも「アベが悪い」の黒魔術

青木氏は、しばしば問題の論点を変更することで、前提を無視して結論を導きます。

〈衆院選自民党圧勝〉
ある種、有権者は正直で、「今回の選挙、何なんだ」とよくわからないまま投票に行かなかったという選挙で、こういう形が出た。(自民党には)これで胸を張られても困るから謙虚にやってほしい。
麻生氏の「北朝鮮のおかげ」発言は謙虚のカケラも見られなかったし、野党の質問時間を少なくして謙虚のカケラもない(サンモニ、17年10月29日)。

[注釈]自民圧勝の選挙結果について訊かれた青木氏は、「正直な有権者が棄権したため」とする根拠のない言説を根拠にして、国民の民意を否定したうえで、さりげなく【論点変更 shifting to another problem】し、自民党は謙虚のカケラもないという結論を導きました。自己防衛のための論点変更です。

〈日大アメフト問題〉
日大アメフトの問題は、トップが責任をとらず、中間は上を守って責任を下に押し付け、下が一番苦しむという意味で、まさにどこかの話と同じだ。この問題、テレビのワイドショーが物凄くやっている。一方で、モリ・カケは飽きているみたいな風潮がある。

ある種、政治のほうでスッキリしないのをこっちのほうで、ある種、溜飲を下げるというか、同じことが起きている物語になっている面もあるのかな(サンモニ、一八年六月三日)。

[注釈]いかなる事案でも、最後には「アベが悪い」という結論を導く典型例です。他者攻撃のための論点変更です。

本稿で示したように、青木氏の言説には広範にわたる多くの誤謬が含まれています。仮に青木氏が安倍政権を公平にチェックしているのであれば、その誤謬はときに安倍政権に不当な高評価を与え、ときに不当な低評価を与えることになります。

しかしながら、青木氏の誤謬のほぼすべては、安倍政権に不当な低評価を与えるものと言えます。

この事実から帰納的に考えれば、青木氏は安倍政権を公平にチェックしているのではなく、“ある種”、安倍政権を打倒する目的で詭弁(意図的な誤謬)を使っている可能性が高いと言えます。

このようなポジショントークは、明らかにジャーナリズムでなくメディアを利用した政治運動です。いずれにしても、詭弁を使って意見の異なる相手を貶めるポジショントークは、邪悪な力を使って人を呪う黒魔術のようなものです。

藤原かずえ

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