斎藤佑樹の元同級生G左腕、社長候補として奮闘中 新型コロナ禍も「社員守らないと」

現在は父が経営するバス会社で働く尾藤竜一さん【写真:小西亮】

早大では斎藤佑樹(日本ハム)と同級生、元巨人の尾藤竜一さんはバス会社で奮闘中

 スマホが何度も鳴る。通話を終えると、思わずため息が出る。「またキャンセルの電話ですわ……」。新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化してきた3月下旬。かつて巨人のユニホームを身にまとった元左腕は、バス会社の常務取締役として経営の先行きに頭を悩ませていた。

 本来なら、春の行楽シーズンで大忙しの時期。岐阜県郡上市に本社を置く「白鳥交通」で、隣接する関市の「関営業所長」を任されている尾藤竜一さんは言う。「3月に予約が入っていた観光バスは、ほぼキャンセルになりました」。2009年に育成2位で巨人に入団し、3年間在籍した技巧派の元投手。その後、中日の打撃投手を6年間務め、30歳になるのを機に父が社長を務める会社へ。運転手の管理や、バスツアーの営業に奔走してきた。

 この春は、景色が一変した。仕事がなくなった運転手には、路線バスの運行に回ってもらうなど調整に苦慮。並行して展開しているタクシー事業などでも活路を模索する。

「本当にしんどい。でも、何とか持ちこたえて社員を守らないといけない。それが僕の仕事です。野球でも、精神的にえらい(辛い)ことは何度もあった。乗り越える力は培ってきたつもりです」

新型コロナの影響で苦しい日々も「みんなが溜めたストレスを観光にぶつけてくれる日が…」

 岐阜城北高でセンバツ4強の実績を引っ提げて早大に進学。斎藤佑樹投手(現日本ハム)が同級生にいる「ハンカチ世代」だった。一挙手一投足に注目が集まる「佑ちゃん」の陰で、故障で投げられない日々が続いた尾藤さん。左肘靭帯断裂の大けがで、「野球ができないなら、大学にいても仕方ない」とわずか1年で中退した。

 野球をやめる選択肢もあったが、「ずっとやってきて、終わり方がどうもスッキリしなった」。トミー・ジョン手術を受け、地元の岐阜に帰ってリハビリ。たまたま母校でトレーニングをしていた時、後輩の伊藤準規投手(現中日)を視察しに来ていた巨人スカウトの目に留まった。入団テストに合格し、プロの世界へ。オープン戦で東京ドームのマウンドにも立ち、2桁背番号に近づいた瞬間もあった。

 中日での裏方時代の経験も、今に生きる。

「陰で組織を支えていく、周囲に気を配る。そういう意識は、社員さんを持った今、より大事になっています」

 3、4年後には代替わりして社長を任せてもらえるようになるつもり。そのためにも、この苦境を乗り越えなければいけない。「早くコロナが収まって、みんなが溜めたストレスを観光にぶつけてくれる日が来てほしいですね」。責任を背負い込み、立ち向かう。(小西亮 / Ryo Konishi)

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