
花は咲き、樹々は芽吹き、水面を揺らす春風に仲むつまじく鳥たちが歌う。
そんな春。
今年は桜が凛として、より一層美しい。
車窓から多摩川土手の満開の桜を眺めて、「これでいいのだ」と思った。
そこには花見客も、道ゆく人の姿もない。
たまにはこんな桜もいい。
だって、桜は人間たちを悩ます感染騒動などお構いなしに、いつものようにそこに咲いているだけなのだから。
「これでいいのだ」
バカボンのパパじゃないけれど、最近、小さな世迷言はそう思うようにしている。
あれこれ深く考え過ぎてしまうタイプは病にかかりやすいらしい。
「くよくよするなよ」と、歌ったのはボブ・ディラン氏。
せっかくの来日が叶わなかった彼の言葉が今は響く。
まだ世の中が鬱屈となる前、友だちとカラオケに行った。
「君の欲しいものはなんですか〜♪」
女友だちが、澄んだ声で淡々と歌うのは聞いたことのない歌。
尋ねると「だってパパの歌ってこれしか知らないんだもん」と早口で返された。
いい歌だった。The Bandの『The Weight』みたいな懐かしいノリ。
ちょっとグッときて目頭が熱くなる。
久々に人の歌声に感動した。
良き友と過ごした夢のような時間。
また会える日まで。みんなの姿が見えなくなるまで手を振って見送った。
まさかこんな世界が待っているとも知らずに。

ゾンビのように人がちらほらと行き交う商店街の街路樹には、今年もポンポンポンと八重桜が満開だ。
フレンチカンカンの踊り子のスカートの中身を覗くおじさんの気分。
主人の買い物を待つガードレールに繋がれたワン公。
これで、パイプをくわえていたら、あの人だ。
『ぼくの伯父さん』のジャック・タチ。
古いフランスのコメディー映画『ぼくの伯父さん』(1958年 ジャック・タチ監督)。
ジャック・タチは、チャプリン同様、脚本、監督、主演をこなしフランスを代表するコメディアンでもあった。
当時、米アカデミー賞外国語映画賞やカンヌ映画祭審査員賞も受賞。
秀作なので、まだ見ていない人には是非ご覧いただきたい。
『ぼくの伯父さん』は、DVD映像を流しているだけでも和む。
画面に映る1950年代の家や美術がモダンでシュール。
舞台となるプラスチック工場の社長の家はさらにモンドでオシャレ。
息子はそんな暮らしにお構いなく、ちょいと風変わりな伯父さんになついている。
伯父さんを何とかまともに結婚させようとするプラスチック工場の社長とその息子。
ストーリーはいたって単純だし、パントマイムでセリフはほとんどない。
しかし、何と言っても、この作品は映画のサントラが最高。
春のうららかな日に、ちょうど耳に心地よい。
実はこのサントラ、私が幼い頃に待ちわびた移動図書館「ひまわり号」のテーマソングだった。
この曲が流れてくると、犬ころのように尻尾フリフリひまわり号へ駆け寄ったものだ。そして、お気に入りの一冊を開き、挿絵にうっとりしゃがみこんで立ち読みする。
家で嫌なことがあった時も、図書館のたくさんの本で憂さが晴れた。
そう、この移動図書館そのものが私にとっての伯父さん的存在だったのだ。
ひまわり号に関連して紹介したい本が2冊ある。
『図書館の誕生 ドキュメント日野市立図書館の20年』(関千枝子・著 日本図書館協会)は、私と同じ1965年に誕生した移動図書館ひまわり号からの書き出しがワクワクする図書館ルポルタージュだ。
そして『移動図書館ひまわり号』(前川恒雄・著 筑摩書房)は、日本の公共図書館を変える原動力となった東京都日野市立図書館初代館長の奮闘を綴った一冊。

『ぼくの伯父さん』のサントラはさまざまな人々に愛されている。
この曲に日本語の歌詞をつけて歌っている人も何人かいた。
最近では細野晴臣さん。『ぼくの伯父さん』のサントラが音楽に目覚めるきっかけになったと何かで読んだ。(細野さん自身が「ぼくの伯父さん」のようになってきている気がするのは私だけだろうか)。
で、私が好きなのは、あの映画『吸血鬼ゴケミドロ』(1968年 佐藤肇監督)で怪演した高英男さんが歌うバージョン。
歌詞がかなりシュールでややぶっきらぼうな感じが、またいいんだな。
歌詞では、ぼくの伯父さんは、しわくちゃなレインコートに古い帽子、パイプをくわえてスタコラやってくる、お金はないけど優しくていい人として描かれる。
何も気にせずテクテクぶらつき、街の人みんなと仲良しで、犬も友だちで、屋根裏に住んでいるとくれば、かなりの「変なおじさん」だと思う。
私は辛くなると、この歌を歌い、口笛を吹いたりする。
すると、おじさんがどこからともなく私の傍にスタコラやってきて、一緒にテクテクぶらついてくれそうな気分になる。
この「スタコラ」と「テクテク」と言うのがまた能天気でよいではないか。

先日ツイッターでこんな記事を見かけた。
作家の高橋源一郎さんによるツイートだった。
私が伝えると色あせてしまうので、以下ここで引用させていただく。
【まだ麻布十番に住んでいた頃のことだ。そこには「あべちゃん」という有名な焼鳥屋があって、まだ保育園に通っていたうちの子どもたちの大好物だった。その日も妻が子どもたちを連れて買いに行った。ところが、店内が混雑していたらしく、持ち帰りの客の長い列ができた。
ジレた子どもたちが、妻が気づかぬうちに列をはずれて店の中に入りつい大声を出した。座っていた客のひとりが怒ることもなく「どうしたの?」と訊ねた。子どもは「いつまでたってももらえない」といった。「そうか」とその人はいった。すぐに、持ち帰りの客の列が動きはじめた。
どうやら、その客が、自分たちの分を譲って持ち帰りの客を優先するよういってくださったらしい。お金を払おうとすると、店の人から「いりません。もう払っていただいてます」。その客が、列に並んだ人全員の焼鳥代を払っていたのである。その客は志村けんさんだった。R.I.P.(高橋源一郎@takagengen ツイッターより)】
読み終えて、「ぼくの伯父さんだ」と私は思った。
まるでケストナーの物語の挿絵のような場面をも連想。
世間では「変なおじさん」で有名だったけど、志村さんこそが、ぼくの伯父さん。
ジャック・タチさながら、まさに世界に通じる コメディアンだった方なのではと 、ふと感じた春の宵。
ご冥福をお祈り申し上げます。 (女優・洞口依子)
