伝え継がれる史跡 「安土 近江八幡」 【おとなの休日 in 安土・近江八幡】

―大人の探訪スポット―

遙か太古の飛鳥時代に聖徳太子によって創建された寺院が点在し、戦国時代には覇王・織田信長が天下統一に向け築城した安土城、 安土城が廃城となった後には豊臣秀次が八幡山に築城し、 新たな城下町を形成。城の周りに築かれた水郷は、 輸送手段として近江商人発展の礎になったと伝えられ、「安土 近江八幡」は日本史上においても重要な時代を担ってきました。

戦後に干拓されるまでは、琵琶湖につながるたくさんの内湖があり、昔の巡礼者たちは、竹生島(三十番)、長命寺(三十一番)、そして観音正寺(三十二番)へと水路を利用したと伝えられています。

西国第三十二番札所 「観音正寺」 万事吉祥の縁結びの祈祷道場 

標高433mの繖山(きぬがさやま)の山頂には、西国三十三所観音霊場の第三十二番札所・「観音正寺」があります。

 寺伝によると、古代、聖徳太子がこの地を訪れ、太子自ら千手観音像を刻んで祀ったのが始まりとされています。戦国時代に焼失し、再興されますが平成に入ってからも本堂と重要文化財の御本尊・千手千眼観世音菩薩立像が焼失する事態に。平成16年に本堂を再々興、インドから特例として輸入を許された23トンもの白檀を素材に、焼失した御本尊の4倍以上もの立派な御本尊が造立されました。

本堂横には山肌を覆う「縁結地蔵尊」が。いくつもの石仏群が並んでいる様は圧巻です。
御住職と供奉員による御朱印。

ふぞろいの石段が続く急坂、札所の中でも特に険しい難所と称される観音正寺ですが、全国からの巡礼者はもちろん、地元の参拝者も絶えることがありません。苦しい坂道を登り切れば、かつて歴史上の覇者たちが眺めた美しい安土を見渡すことができます。

水辺をわたる春の風、手こぎ舟でめぐる 水郷の四季

安土から近江八幡にまたがる「西の湖」に通じる水郷地帯は、「春色 安土八幡の水郷」として琵琶湖八景の一つに数えられています。年月を経ても変わりない雄大な自然は、茨城県の潮来、福岡県の柳川と合わせて日本三大水郷とも呼ばれ、平成18年には文化庁より西の湖を中心とする景観が「重要文化的景観」全国第一号として選定されました。

戦国時代、近江南部を支配した佐々木六角が築城した観音寺城の本丸跡。観音正寺への 道中にも、観音寺城の石積み城郭を多数見ることができます。織田信長によって六角が滅ぼされると、六角の庇護を得ていた観音正寺も焼き討ちに遭い焼失。江戸時代に再興されますが、平成に入っても焼失し、現在は再々興されています。
琵琶湖八景「春色 安土八幡の水郷」を巡る手こぎ舟。

この水郷を舟で周遊する「水郷めぐり」は、約400年前、豊臣秀吉の甥にあたる豊臣秀次が、戦国の世の疲れを癒すため、宮中の舟遊びに似せて舟めぐりをしたことが始まりと伝えられています。

 のどかな水辺に映る桜や草木、葦が芽吹き始めるうららかな春。揺りかごのような心地良い手こぎ舟で、船頭さんの話に耳を傾けながらゆったり水郷を巡ってみませんか。舟の上では名物の近江牛のすき焼きや弁当なども楽しむことができます。

近江八幡和船観光協同組合
船頭 福永さん

昔は田んぼへ行くためにこの水路を使っていました。生き物の鳴き声に花の香り、ありのままの自然を感じることができるのも、手こぎならでは。四季折々の風情がありますが、これからの桜の季節は特にきれいですよ。

今回の史跡探訪

■観音正寺

本尊/千手千眼観世音菩薩 宗派/単立寺院開基/聖徳太子 
創建/推古13年(605年)

拝観料/無料 拝観時間/8:00~17:00

近江八幡市安土町石寺2 TEL/0748-46-254

■豊年橋(近江八幡北之庄町)発着の水郷めぐり
【乗合】所要時間約80分コース 

  期間/4月1日~11月30日

【貸切】所要時間約80分 

  期間/年中無休

*食事有の場合は別途料金要 
*要予約

近江八幡和船観光協同組合
TEL/0748-32-2564

■情報誌「自悠時間」掲載2014年3月

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