数千の個人資料 夏にリスト化 長崎総科大・木永准教授

渡辺千恵子さんの車椅子やアルバム、書類などの資料を管理、調査している木永准教授=長崎市、長崎総合科学大

 渡辺千恵子さんの自宅に残されていた手書きの原稿や新聞の切り抜き、アルバム、書籍など数千点の資料が、長崎市網場町の長崎総合科学大で保管されている。調査・分類を進める木永勝也准教授(62)は、被爆・戦後75年の今夏、同大長崎平和文化研究所のホームページ(HP)に詳細リストを掲載し、その後、写真や紙資料のデジタル化も進める計画。「被爆者の個人資料がまとまっているケースは少なく貴重だ」として、教育現場などでの活用の広がりに期待している。
 資料は渡辺さんの死後、関係者を通じて2016年に同大へ寄贈された。木永准教授は学生と共に調査を進め、18年以降は同大学園祭で展示会も開いている。
 資料を具体的に見ると、渡辺さんらが結成した「長崎原爆乙女の会」の「原爆だより」創刊号(1955年7月)がある。編集後記には、被爆後の困難な生活を振り返り「いつの間にか私たちはもののいえない病気にかかっていた。社会が受入れてくれないからだとただぐちのみこぼしてもはじまらないということが今になってわかった」(原文のまま)とつづってある。
 渡辺さんが56年8月の第2回原水爆禁止世界大会で演説した時の直筆草稿とみられる原稿用紙には「みじめなこの姿を見て下さい。私が多くをかたらなくとも原爆の恐ろしさはわかって頂けるものと思います」(同)などと記されている。
 78年に長崎の被爆者、故谷口稜曄(すみてる)さんらと共に軍縮会議に参加するため初めて車椅子で渡欧した時のアルバム、晩年使っていた車椅子なども保管されている。

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