昭和の風景を探す旅のアシ、今回は “日産製のドイツ車”サンタナ
このコーナーでは、昭和な風景を求めていろいろな場所に出かけていますが、今回の旅のお供は、筆者のもう一台の昭和クルマ、「フォルクスワーゲン サンタナ Xi5アウトバーンDOHC」を連れ出しました。
ご存知の方も多いと思いますが、日産でノックダウン生産していたあのサンタナです。
本国ドイツで昭和56(1981)年にデビューした2代目パサート(B2型)は、ボディバリエーションが5ドアハッチバックとワゴン(バリアント)しかなかったため、セダン版をサンタナとして別に用意。それを日産が、昭和59(1984)年から昭和63年(1988)年まで、座間工場で生産をしていました。「日産車」なので、「M30」という日産らしい型式も持っています。
いまだに残る、中央道の廃止区間へ
東京から中京圏へと至る、東名と並ぶもうひとつの大動脈が中央自動車道(以下、中央道)です。
勾配とカーブが連続することでも知られる中央道は、かつて談合坂サービスエリア界隈で事故や渋滞が多発していました。そこで2003年、上野原IC〜大月IC間で大幅な線形改良・車線増加工事を実施したのです。
このとき、急だったカーブ連続区間約1.5kmが廃止され、現在もその廃道が残っているのです。このような高速道路の廃止は極めて珍しい例です。
この区間を訪問するには、上野原ICで降りて国道20号に至り、下っていきます。上野原市街を抜け「野田尻」方面への案内が出たら、それを右折します。
道なりに進んでいくと中央道の側道に出ますが、途中で妙な光景が現れます。急に、左側に使われていない道が現れ、しかもその先では、柵で侵入を禁止しています。
そう、ここが廃止区間の東京側の始点です。使用していないこの道こそ、以前の「中央道下り線」。現在使用している側道は、旧上り線を転用したものなのです。
高速道路だった名残がいっぱい
ここから側道=旧上り線は、使用しなくなった旧下り線と並走しますが、このわずか1.5kmほどの区間に、この場所が元高速道路だったことを示す「遺構」がたくさんあり、興味は尽きません。
跨道橋にはいかにも高速道路のそれらしい橋梁名のプレート、道端には廃止前から使用していると思われる、「長い下り坂 速度落とせ」の表示が残ります。
上から眺めても、いかにも高速道路という雰囲気が伝わります。廃止区間の甲府側終点では、現在の中央道とから旧道へのアプローチを見られます。たしかにすごい急カーブだったのだ、と思うことしきりです。
あの頃きっと、サンタナもこの道を走ったはず……
今回、中央道の廃止区間と廃道、そしていまなお残る「当時の中央道下り車線」に立って思ったのは、筆者もこの道(舗装自体)そのものを数えきれないほどクルマで踏みしめていたのだな、という感銘でした。
ぼくは実家の最寄り高速道路が中央道なので、使用頻度がとても高かったのです。幼少時代からぼくが免許を取ったあとも、まずお出かけといえば山梨・長野方面でした。サンタナの前オーナーも東京西部に住んでいたようですので、きっとこのサンタナも幾度となくこの廃止区間を西に向かっていたことでしょう。
当時間違いなく、この廃道を走ったであろう、サンタナ。昭和を支えた大動脈・中央道と、そこに置かれた昭和のクルマも、あの時代を再現するヒトコマとなりました。
[筆者・撮影:遠藤 イヅル]