「特捜的人質司法」が招いたゴーン被告の逃亡 10時間以上インタビューした郷原さん、新著で指摘

By 竹田昌弘

 前日産自動車会長のカルロス・ゴーン被告(66)=金融商品取引法違反、会社法違反の罪で起訴=が昨年末、レバノンへ逃亡する前後、10時間以上にわたりインタビューした弁護士の郷原信郎さん(65)が15日、新著「『深層』カルロス・ゴーンとの対話―起訴されれば99%超が有罪になる国で」(小学館)を刊行する。同書でゴーン被告は会社法違反の裁判開始が検察側の事情で2021年か22年に延び、接見禁止の妻子とそれまで会えず「大きな失望」と「完全な不公平」を感じて出国したと語っている。郷原さんは十分な証拠がないまま逮捕、起訴し、その後の証拠収集などで時間を費やして裁判が長期化する「特捜的人質司法」が逃亡を招いたと指摘している。(共同通信編集委員=竹田昌弘) 

レバノンのベイルートで開いた記者会見で汗を拭うカルロス・ゴーン被告=1月9日(ロイター=共同)

■別室へ行くと「検察です。同行してください」 

 ゴーン被告は18年11月19日、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いで東京地検特捜部に逮捕され、12月10日に起訴されるとともに、会計年度の異なる同じ容疑で再逮捕された。同20日、東京地裁が勾留延長を認めない決定をすると、特捜部は翌21日、会社法違反(特別背任)の疑いでまた逮捕し、昨年1月11日に追起訴した。ゴーン被告が3月6日に保釈され、4月3日に同11日の記者会見を開くと表明したところ、特捜部は翌4日、別の特別背任容疑で4回目の逮捕、同22日に追起訴した。再び保釈されたゴーン被告は12月29日、関西空港から出国し、同31日に「レバノンにいる」と声明を発表した。東京地検は入管難民法違反の疑いでゴーン被告の逮捕状を取っている。

15日刊行の「『深層』カルロス・ゴーンとの対話」。

  郷原さんは元東京地検特捜部検事で「検察崩壊―失われた正義」(毎日新聞出版)や「青年市長は〝司法の闇〟と闘った―美濃加茂市長事件における驚愕(きょうがく)の展開」(KADOKAWA)などの著書がある。ゴーン被告には、個人的な交流がある元参院議員の犬塚直史さん(65)を介し、再び保釈された後にインタビューを申し入れた。インタビューは昨年11月から計5回続き、国内最後は出国2日前の昨年12月27日だった。その後、レバノンにいるゴーン被告からテレビ電話で数回話を聞き、一連の事件と日産での「ゴーン会長追放劇」の深層、日本の刑事司法を巡る構造的問題を明らかにするため、本にまとめたという。 

 同書によると、ゴーン被告はまず、18年11月19日の自身の任意同行について、次のように話している(同書からの引用は要旨)。 

 プライベートジェット機に乗って午後4時頃に羽田空港に到着し、ターミナルで入国審査を受けた際、係官が「パスポートに異常がある」と言って、私は近くの部屋に連れて行かれた。そこで(特捜部の)関善貴検事から「検察です。質問があります。同行してください」と告げられた。「娘が出口で待っている。電話をかけたい」と言ったが「もう電話は使えません」と言われた。車に乗せられ、左右に人が座った。カーテンで外は見えなかった。 

■「奥さんや子供も追及することになる」と検事 

 その後、ゴーン被告は東京地検で逮捕された。11年3月期から15年3月期にかけて、自身の報酬は計約99億9800万円なのに、計約49億8700万円と過少に記載した有価証券報告書を関東財務局に提出したという容疑だったが、ゴーン被告は「何を意味するのか分からなかった。当初はストックオプションのことを誤解していると思った」と述べている。 

 関検事による取り調べについて「私の主張を聞く耳がない。こちらの論理や説明は聞かない」「つまらないことに罪の意識を抱かせようとする。モーターショーで提供されたスーツをその後着ましたかと聞いてきた。舞台衣装だからその後は着ない。すると『私は若手検察官への講義に行くが、スーツはあてがわれない』と言った。何百万人に見られるモーターショーと若手検察官への講義の違いを説明しなければならないのにあきれる」「(自白させようと)関検事は『こんなふうになると奥さんや子供も追及することになる。早く認めて責任を取ったら家族には何も降りかからないのに』と言っていた。それは録音されているはずだ」と語る。ゴーン被告の妻は特別背任事件の参考人聴取を拒み、特捜部が求めた証人尋問が昨年4月、東京地裁で開かれた。特捜部はその際の偽証容疑で妻の逮捕状を取っている。息子や娘も昨年12月、特別背任事件を巡り、特捜部の要請を受けた米司法当局から事情聴取されている。 

 また弁護人の選任を巡り、ゴーン被告は「当日か翌日かわからないが、日産の広報の川口(均・元副社長)に連絡して、弁護士をよこすように言ってくれと伝えた。日産が裏で動いているとは疑っていなかった」と振り返る。結局、ルノーの推薦で元東京地検特捜部長の弁護士らが弁護人となった。「彼のチームは検察と協力することを勧めた。そしたら保釈されるかもしれないと。公判で保釈のために認めたと言えばよいと言われた。あまり説得力のある説明とは思えない」とゴーン被告。当初、検事の質問にはできるだけ答えていたが、弁護人がプロパーの弁護士チームに変わってからは黙秘したという。 

保釈され、東京拘置所を出るカルロス・ゴーン被告=2019年4月25日

■四つの事件、起訴内容を全て否認 

 ゴーン被告が起訴されたのは、①自らの11年3月期~18年3月期の役員報酬は計約170億円と決まったのに、計約78億円と記載した有価証券報告書(有報)を関東財務局に提出した=1、2回目の逮捕容疑②個人の資産管理会社が新生銀行との為替スワップ契約で損失を出したため、契約者を日産に変更し、評価損約18億5千万円の負担義務を日産に負わせた=3回目の逮捕容疑③このスワップ契約を巡り、信用保証で協力してくれたサウジアラビア人実業家の会社へ、子会社の中東日産から計1470万ドル(約12億8千万円)を送金し、日産に損失を与えた=同④17年7月と18年7月には、中東日産からオマーンの販売代理店「SBA」に計1千万ドル(約11億円)を支出し、うち500万ドル(約5億5500万円)は自らが実質的に保有するレバノンの投資会社「GFI」に送金させ、日産に損害を与えた=4回目の逮捕容疑―とする各事件。 

 ①について、決まった報酬と有報記載の報酬との差額は、退任後にもらうことが文書で約束されていたなどと特捜部は主張しているのに対し、ゴーン被告は「(記載されなかった未払いの報酬支払いは)誰が決めるのか? 退任後であれば、私は決められる立場にいない。未決済の報酬をどうやってあらかじめ有報で報告するのか」と反論する。②は「日産に金銭的な損害を負わせないようにして、一時的に担保を提供してもらった(契約の名義を日産にした)。しばらくして契約名義を私に戻し、日産には一切損害を与えていない」(昨年1月8日の勾留理由開示公判)などと主張している。 

 ③も「実業家は1470万ドルのうち、1120万ドルは日産のための弁護士費用や市場調査の実費に使い、全て伝票を持っている。実業家の報酬は差額の350万ドル」として、信用保証との関係を否定。④のSBAへの支出は「販売奨励金であり、厳格な社内手続きにのっとって決定され実行された」(ゴーン被告の弁護側予定主張記載書面)とし、SBAからGFIへの送金は「全く事実ではない」とゴーン被告は断言する。四つの起訴内容は全て否認している。 

■特別背任の裁判開始は21年か22年、それまで妻子と会えず 

 ゴーン被告が出国を決意したのは「二つの出来事があったから」と郷原さんに伝えている。それは何か。 

 「一つ目は、裁判官は今年9月に特別背任の公判を始めると約束していたが、突然意向を変えた。理由は検察に言われたから。21年か22年まで延びてしまった。スピーディーな公判を受けるという刑事司法の基本的な原則が全く守られていないことに大きな失望を感じた。二つ目は、妻と息子に会えないことについて何度も変更を要求したが、特別背任の裁判が始まるまで会えないということになった。つまり、21年か22年まで会えないと。完全に不公平だと感じた」

カルロス・ゴーン被告にインタビューし、新著にまとめた弁護士の郷原信郎氏=1月16日、東京都港区(竹田昌弘撮影)

  出国を決意後、想定した成功確率を郷原さんが尋ねたところ、ゴーン被告は「100%成功させる計画を立てたが、予想できない事態が起きることもあることを考慮に入れると75%。しかし、裁判がいつ行われるか、全く先行きが見えず、公平な裁判が受けられる可能性が全く見えてこなかったことから、私はこのリスクを取った」と明かしたという。 

 郷原さんはゴーン被告へのインタビュー内容や公判前整理手続きでの検察側、弁護側の主張などから、▽1回目と2回目の逮捕容疑は、会計年度こそ異なるものの「一連の犯罪」と評価されるべきもので、5年度分と3年度分に分けて逮捕、勾留を繰り返したことに重大な問題があった、▽このため、再逮捕後の勾留延長が認められず、ゴーン被告が保釈されそうになったことから、特捜部は証拠が十分に集まっておらず、直ちに立件することは予定していなかった③の事件に着手せざるを得なくなったのではないか、▽④の事件も③と同様、外国との捜査共助で期待した回答が得られないとみられる中東が舞台で、検察上層部が立件に「慎重姿勢」と報じられていたので、無理をした可能性がある―との見方を示す。 

 その上で、ゼネコン汚職を例に「特捜部が起訴した事件では、証拠が希薄な事件であればあるほど、検察官は、公判を引き延ばす方針で臨み、有罪立証が困難な状況になっても補充立証を試みたりして、無罪判決を阻止しようとする。その結果、公判は著しく長期化する」と「特捜的人質司法」を指摘。①以外の裁判開始は21年か22年と通告され、証拠の翻訳や公判の通訳にかかる時間も含めると、③と④の一審にはそれぞれ2年程度はかかり、①と②、その後の控訴審と上告審を考慮すれば、裁判に10年近くかかる可能性が高く、郷原さんは「特捜的人質司法」への絶望がゴーン被告を海外逃亡させたとみている。 

■「日産は崩壊に近づいている」

カルロス・ゴーン会長(当時)の逮捕を受け、記者会見に臨む日産自動車の西川広人社長(当時)=2018年11月19日夜、横浜市の本社

  一方、ゴーン被告は日産の経営や西川広人前社長などについても詳細に説明する。

 「業績が悪化していた。西川は(ルノー、三菱自動車との)アライアンス(提携)の会議で頻繁にかんしゃくを起こして、失礼な態度を取っていると聞いていた。自分のポジションとしてのコントロールを失っていき、業績が下がる原因にもなっていた。それが続けば、西川の退陣につながるおそれがあった」

 「西川が自身の職を失うことについて、不安になったことが今回の発端の一つになったと思う」

 「われわれは『不可逆的なアライアンス』という表現を使っていた。統合、HD(ホールディングス)など、さまざまな方法があったが、私は(日産の最高執行責任者に就いた)1999年以来、ずっと統合はだめだと言ってきた。ところが、統合に対する恐怖心があったため、私のHDの提案も好意的にとらえられていなかった。そして日産の業績下落。経営上層部がクビになる恐れを強く感じ始めた。HDだと、全員が今の職を続けられない」 

日産自動車の再生計画について記者会見するカルロス・ゴーン最高執行責任者(当時)=1999年10月18日、東京都中央区

 ゴーン被告は日産について「日本の伝統的な形で経営を続けていたら、もう破綻している。それを忘れたら明日はない。今またそこに落ち着こうとして崩壊に近づいている。経営幹部は最終利益に関心が薄く、経済産業省、周囲の関係、OBのことばかり考えている政治屋でしかない。それが99年までの日産にも弊害をもたらしていた」と述べ、郷原さんが最後に日本人に言いたいことを聞くと「まず事実を見据えよ。言われたことをそのまま信じるな。現実を見よ」と語ったという。(了)

© 一般社団法人共同通信社