【MLB】生イチローに「高揚感で麻痺」 米記者が鮮明に記憶するレジェンドの“粋な計らい”

日米通算4367安打を放ったイチロー氏【写真:Getty Images】

ピーター・ボー記者は2010年にセントルイスで行われた試合でイチロー氏を生観戦

 メジャー通算3089安打を放ち、昨年3月21日に東京ドームで行われたアスレチックス戦で現役を引退したイチロー氏。日米で輝かしい功績を残したレジェンドへ寄せられる称賛の声は今もなお止むことがない。米スポーツ専門メディア「ジ・アスレチック」の記者ピーター・ボー氏は、イチロー氏にまつわる体験談を寄稿。「私の大好きな選手:イチロー」とのタイトルで、思いを綴っている。

 ボー氏は小学生の頃、イチロー氏のバッターボックス内で行う一連の動作の絵が描かれた弁当箱を持っていた。「私にはシアトルに住んでいる祖母がいる。祖母はイチローに関するあらゆるものを見つけてくれて、私に送ってくれた。シアトルタイムズ(地元紙)の切り抜きから本の伝記、そしてランチボックスまで」と振り返り、こう続けている。

「イチロー氏についての情報を復唱し、2001年ア・リーグ新人王になった経緯、2004年に262安打を記録した経緯を興味のないクラスメートたちに語るのが私の日課になっていた。2019年に引退するまで、彼は見事な才能を備え、驚くほど安定感があった」

 イチロー氏との最高の思い出は、ボー氏の母の厚意から生まれた。イチロー氏が所属していたマリナーズは2010年に敵地セントルイスで試合を行った。マリナーズとカージナルスは所属リーグが異なるため、対戦機会が約6年に1度。「そのため、私の母エリザベスは(マリナーズがカージナルスの本拠地で試合する日を)カレンダーに何か月も前から記していた」と振り返る。

 ボー氏は、打撃練習を見学して右翼スタンドで待機、右翼のポジションで試合の準備をするイチロー氏の名前を呼ぶという試合当日のプランを立てたという。「気を引くことができれば、もしかしたらボールを投げ込んでくれたり、ベースボールカードにサインをしてくれるかもしれない」と考えた。

右翼スタンドに陣取り、イチロー氏が投げたボールをキャッチした

 試合当日、ボー氏は“イチローは1番”と書かれたサインを持参。「私は緊張しながら、試合開始2時間前に入場ゲートを急いでくぐり、右翼につながるコンコースを走った」。イチロー氏は同僚の打撃練習で右翼の守備位置についていた。

「ボールが視界に入るところになくても、彼は動きを決して止めない。ストレッチを行い、体をケアすることで、45歳までプレーすることができた。そして、打撃投手が投球フォームに入ると、イチローは気を引き締め、飛んでくる打球に対して準備万端にしていた」

 イチロー氏がウォーニングゾーンに近づいてきたとき、名前を叫んだという。「彼は他のファンに向かってボールを投げた。しかし、彼は私の薄っぺらいサイン(ボード)を視界に入れた。彼は私の方を指さし、あるメッセージを届けるために言葉は不要だった。『用意しておくんだぞ』と」。

 ボー氏はその瞬間を詳細に伝える。「私は興奮を覚えつつも、怯えていた。へまは絶対にしたくはない気持ちがあったからだ。彼は(打球をキャッチして右翼スタンド方向に)振り返り、事もなげに群集の中の私を見つけた。彼の手から放たれたボールは、導かれるように私の方へと向かってきた」。

「腕をいっぱいに伸ばしたグラブに、ボールが収まると、私を取り巻く世界がゆっくり動いているようだった。高揚感で感覚が麻痺していた。私にできることといったら、振り向いて、滑るボールを掴みながら、母の元へと階段を上っていくだけだった。私の心臓は激しく脈を打っていた」

「イチローだったよ、お母さん」。ボー氏は母にそう伝えたという。

マリナーズからプレゼントが、イチロー氏のサインボールが自宅に届けられる

 ボー氏は、食中毒のため当日一緒に観戦できなかった父親のためにエッセイを書いて、試合の数週間後に迫っていた“父の日”にこれをプレゼントした。父は、ボー氏の幼少時にルー・ゲーリッグ、カーク・ギブソンら名選手の話をしてくれたという。また、母親は当時のマリナーズCEOであるハワード・リンカーン氏に手紙を送り、ボー氏が書いたエッセイを同封。ボー氏のイチロー氏に対する思いを伝えたという。

 この試合の1か月後、ボー氏は家族旅行に出かけた。「その2週間後、家族がセントルイスの自宅に戻ると、ミディアムサイズの箱が家のドアの側で私たちを待っていた。箱の角にはマリナーズのロゴが描かれていた。混乱しながら、私は母の顔を見た。優しい笑みを浮かべながら、『開けてごらん』と母は言った」。

「リンカーン氏は母からの手紙を読んでいた。彼はそのエッセイに感動し、イチロー本人にそれを渡すことを約束していた」。箱の中には、プラスチックケースで保存された新品の野球ボールが入っていた。「白くて滑らかな(ボールの)革に、青色で刻まれた(イチローの)サインが私の眼に入ると、母はニッコリ笑った」。

 ボー氏とイチロー氏を巡る心温まる物語。イチロー氏が多くの人から愛され、リスペクトされる理由だろう。(Full-Count編集部)

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