新型コロナウイルスの影響により、各国のリーグ戦は中断中だ。日本でも外出自粛の動きが広がるなか、自宅でゲームに興じる機会が増えているかもしれない。
ここでは、2016年に配信した「当編集部がお世話になった、『ウイニングイレブン』戦士」を再掲する。
コナミが誇るサッカーゲーム『ウイニングイレブン』シリーズ。第1作が発売されたのは1995年で、昨年はちょうど20周年目となる記念すべき年であった。
多くのサッカーファンを虜にしてきた『ウイイレ』。何を隠そう当Qoly編集部も漏れなく全員が『WE』狂と呼べるほどこのゲームに夢中になり、プレイし倒してきた。
そんな愛すべき『ウイイレ』で編集部員がお世話になった選手たちを振り返ってみる。なお、ゲーム内では偽名であった選手もいるはずだが、ここでは本名で取り上げる。
ヤン・コレル(元チェコ代表FW)
編集部H
「ケマー」の偽名で一世を風靡したチェコ人ストライカー。
202cmの高身長に圧倒的なヘディング能力は文字通り「反則」レベルだった。後にヘディングでゴールを取り難い仕様へと変更されたのはもしかしたら彼のせいかもしれない。
編集部K
一時期、11人全員長身の選手だけを使ってロングボールを徹底的に使っていくというウイニングイレブンの流行をぶっ壊す作戦を使っていたことがある。
やはりその際に鍵となるのはCFであるわけで、とにかく彼の獲得だけを目指していた。彼とジギッチを並べるのがマイブームだったことも。
アリャクサンダル・フレブ(ベラルーシ代表MF)
編集部N
まだフレブがアーセナルに行く前のシュトゥットガルト在籍時代から彼のファンで、ウイイレ7くらいであっただろうか、登場して来た時は凄く嬉しかったのを覚えている。
キレッキレのドリブルで凄く使いやすかく、サイドを切り裂くのは彼のドリブルだった。なお、アーセナル移籍後は出場機会が減り、能力が落ちていきました…。
セバスティアン・ダイスラー(元ドイツ代表MF)
編集部I
度重なる怪我に苦しみ、27歳の若さで現役引退したドイツの天才MF。
WEに『オリンピックモード』が搭載されていた頃にお世話になった。バランスのとれた能力を持つOHとして、マスターリーグではまず誰よりも先に彼を獲得していた。本当にいい選手でした…。
ダニエル・アモカチ(元ナイジェリア代表FW)
編集部N
ウイニングイレブン3の頃であっただろうか。当時の能力で「シュート」という項目があり、アモカチはロナウドやベルカンプと並び、唯一の「9」の選手だった。
フリーで打てばほぼゴール。そんな彼に大変お世話になりました。
編集部Q
今で言うドログバのような選手の走りだったのだろうか。エヴァートンでもプレーしたナイジェリアを代表する“牡牛”、しかし怪我に苦しみブレイクしきれなかった。
初期のウイイレでは数少ないオフェンス9(MAX)の選手で、1998年のワールドカップでナイジェリア代表として活躍した。
初期のウイイレでは、アモカチ、カヌ、ババンギダ、控えにイクペバ、アクポボリエを擁したナイジェリア代表で3トップを組んでいた御仁も多いはずだ。
イェレ・ヴァン・ダメ(元ベルギー代表DF)
編集部K
では長身選手を集めようとしたとき、人選に困るのはどこか?といえば最終ラインとCF以外であるわけだ。SHやOHはいなくても良いが、ボランチなしのフォーメーションは存在しない。
その時に重要だったのが中盤起用できるヴァン・ダメだった。彼は5バックの中央をリベロにして上がらせる戦術でも役に立ち、何度かアーケード版でゴールも決めた覚えがある。
マーティン・ヨルゲンセン (元デンマーク代表MF)
編集部K
ヨルゲンセン、ロンメダール、グレンケア、レヴェンクランと名ウイングが揃っていたデンマーク代表がお気に入りだった。
特にどんなポジションでもこなせる彼が好きで、どんなときでも見つければ獲得していた記憶が…。
ペーター・レヴェンクラン(元デンマーク代表FW)
編集部S
ウイイレのマスターリーグで誰もがまず真っ先に探すのが、安くて速い選手。
ウイイレ8においてその両スペックを兼ね備えていたのが、元デンマーク代表FWレヴェンクラン(ロレンツカンズ)だ。
そんな彼も昨年現役を引退。左サイドをぶっちぎったあの雄姿、忘れないぞ。
ジャンルイジ・ブッフォン(イタリア代表GK)
編集部O
彼のビッグセーブに救われた試合多数。ありがとうジジ!
ティベリウ・ギオアネ(元ルーマニア代表MF)
編集部O
本職がどこか分からないぐらい適性が付きまくっていたユーティリティ職人。素敵なボランチでした。
ハビエル・サビオラ(元アルゼンチン代表FW)
編集部O
サビオラでゴールを決めるため、なぜかループシュートを寝ずに練習したのは良い思い出。
たぶん人生で一番ループを決めた選手。
ドノヴァン・リケッツ(元ジャマイカ代表GK)
編集部H
リアル世界では1998年W杯に20歳でメンバー入りした早熟のGK。
ウイイレでの能力は低かったが、昔は本職以外で起用しても動きが落ちなかったので、ゲーム初期には199cm?の高身長を生かしフィールドプレイヤーとしても活躍(…させた人が筆者以外にもいるはず)!
ヌワンコ・カヌ(元ナイジェリア代表FW)
編集部H
2m近い身長にして「タコの吸盤」と形容される吸い付くようなボールタッチが魅力だったカヌ。
しかし、ゲームではそんなことお構いなしにヘディングを決めまくり、多くのユーザーに重宝された。
イーゴル・トゥドル(元クロアチア代表DF)
編集部Y
安い高い強い&MFでもDFでも使えて重宝した。
パヴェル・ネドヴェド(元チェコ代表MF)
編集部Y
超オールラウンダーでゴールにアシストに、初期から終盤までずっと中心メンバーだった。
中田英寿(元日本代表MF)
編集部Y
真っ先に獲得!カストロ、ホイレンスを巧みに操りつつアシストを重ね、自らもゴールを奪い、ポイントを貯めるのに貢献してくれた将軍。
オーギュスティーヌ・シモ(元カメルーン代表FW・MF)
編集部Q
実物はスイスリーグを中心に活躍したカメルーン代表プレイヤー。
能力値がまだ99段階評価でなかったころ、スピードが速い選手はウイイレで間違いなく効果的だった。だが、多くの選手はコストが高い。
その中でシモは他の能力値こそ高くなかったが、スピードが取り立てて速いのでコストパフォーマンスに長けた存在だった。
ラッキー・イダホー(元ディナモ・キエフ、ナイジェリア人FW)
編集部Q
サッカー選手を覚える時に名前というのは大事な要素だ。
その中でも、幸運という意味を持つ“ラッキー”はその高いコストパフォーマンスと相まって記憶より印象に残る選手だった。
ウイイレではディナモ・キエフ時代から評価されていたが、ブレイクしきれず。アゼルバイジャンを経て、タフリヤでウクライナへ復帰してから二桁ゴールを達成した。
ナイジェリア代表capはあるもののほとんどのキャリアはウクライナで過ごした。