梨田昌孝、中村紀洋、ブライアント… 熱い男たちがズラリと並ぶ近鉄ベストナイン

近鉄で活躍した梨田昌孝氏【写真:荒川祐史】

投手も三塁手も外野手もDHも選び難い、強打者揃いの選手たち

 近鉄バファローズは、2004年、球界再編でオリックスと合併するまで55シーズン存在した。設立当初は近鉄パールズ、その後近鉄バファロー、さらに近鉄バファローズとなり、最終的には大阪近鉄バファローズとなった。1988年の伝説の「10.19」の死闘、1989年の巨人との日本シリーズでは3連勝からの4連敗、2001年の北川博敏氏の代打逆転サヨナラ優勝決定満塁本塁打など多くの思い出が野球ファンの心に刻まれている。独自の見解で賛否両論あるかとは思うが、近鉄のベストナインを選出していきたい。

 先発投手は何と言っても最後の300勝投手、鈴木啓示だろう。左腕としては金田正一の400勝に次ぐ317勝。近鉄一筋20年、最多勝は3度も獲得。球団勝利数2位の佐々木宏一郎投手も113勝を挙げる好投手だったが、とても届かない。阿波野秀幸(現・中日投手コーチ)もデビューから4年連続2桁勝利。1989年には19勝で最多勝を獲得。アイドル的な人気があった。野茂英雄も新人から4年連続最多勝の大活躍。在籍は5年でMLBに移籍し、さらに飛躍を遂げた。

 救援投手は球団通算最多139セーブの赤堀元之としたい。抑えに目を向けると、1986年には前年70登板と奮投した石本貴昭が32セーブをマークし、タイトルを獲得。1988年には後にMLBでもプレー、投手コーチとしても活躍する吉井理人が24セーブを挙げた。98年に大塚晶文が35セーブを挙げ、タイトルを獲得するなど、球史に残る抑え投手がいるが、赤堀は1992年から97年まで2桁セーブをマーク。92~94年は連続で最優秀救援のタイトルを獲得するなど、輝かしい成績を残し続けた。

 近鉄の捕手は1950年代にはのちに殿堂入りする根本陸夫が正捕手だった時代もあるが、しばらくは固定ができなかった。近鉄で初めてベストナイン捕手となったのが梨田昌孝。のちに近鉄、日本ハム、楽天で監督も歴任した。この梨田と同時期に強打の捕手として活躍したのが有田修三。「ありなしコンビ」が名物だった。山下は梨田の後の正捕手。そして的山は近鉄の最後の正捕手だ。伝説の「10.19」決戦が最後の試合となった梨田を実績、人気の面でも“最高の捕手”に挙げたい。

 一塁手は小川亨、C・ジョーンズ、石井浩郎、吉岡雄二といるが、近鉄一筋17年で球団最多試合出場(1908試合)の小川亨を挙げたい。シャープなスイングをする左打者で、162本塁打の強打に加え、141盗塁と足も速かった。素朴な風貌で「もーやん」と呼ばれた。二塁手はやはり1824安打を放ち、3度の盗塁王、チームリーダーとして17年にわたりチームを引っ張った大石大二郎が球団の顔と言えるだろう。

マニエル、オグリビー、ブライアント、ローズ…怖い外国人選手の名がズラリ

 三塁手は激戦。小玉明利、羽田耕一、金村義明、中村紀洋という強打者揃いだからだ。小玉は1954年から67年まで近鉄の正三塁手。チーム最多の1877安打を放った。ただやはり、インパクトの強さで中村紀洋としたい。遊撃手はベストナイン2回の石渡茂ではないだろうか。

 外野手は関根潤三、土井正博、栗橋茂、鈴木貴久、T・ローズ、大村直之……と挙げ始めればキリがないくらい、打撃の良い外野手が多い。4月8日に死去した関根は投手との二刀流で知られた。引退後は大洋、ヤクルトの監督。土井は19歳で4番を打つなど注目され、近鉄時代は好成績をあげながらもタイトルがなく「無冠の帝王」と呼ばれた。栗橋は飛距離の大きな本塁打を打った強打者で、ベストナイン3回選出。鈴木はがっちりした体格で「北海の荒熊」と呼ばれた。オールスター出場3回。タフィ・ローズはNPB史上屈指の外国人打者。近鉄時代に本塁打王3回、打点王2回。2001年には55本塁打を記録。大村はシュアな打撃と守備範囲の広さで知られた。ベストナイン2回、ゴールデングラブ2回と輝かしい。実績で選ぶなら土井正博、栗橋茂、タフィ・ローズが残ると考えられる。

 指名打者もC・マニエル、B・オグリビー、R・ブライアント、北川博敏……と選び難い。チャーリー・マニエルはヤクルトから移籍。わずか2年の在籍だが2年とも本塁打王。その豪打は日本球界に衝撃を与えた。ベン・オグリビーはMLB通算235本塁打の強打者。独特の打撃フォームで人気だった。ラルフ・ブライアントは中日では2軍暮らしだったが近鉄に来て大爆発。本塁打王3回、打点王1回。東京ドームの天井に当たる本塁打を打つなど異次元のパワーを見せた。DHは強烈な印象を与えたブライアントとしたい。

 プロ野球の開幕が延期になり、過去の映像や記録に触れる時間も増えた。ファンは興奮し、相手ファンは迎えると嫌だった近鉄のことを思い出してみてはいかがだろうか。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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