秋葉前広島市長が募らせる日本政府へのいら立ち NPT発効50年、核なき世界実現への思い

原爆ドーム(後方右)のそばで、インタビューに答える秋葉忠利・前広島市長

 核兵器の拡散を防ぐことを主な目的とし、5大国にのみ核の保有を認めた「核拡散防止条約」(NPT)は今年、発効から50年の節目を迎えた。2017年には、核兵器の開発や実験、使用を全面的に禁止する史上初めてとなる「核兵器禁止条約」が国連で採択された。広島市長を1999年から3期務め、「平和市長会議」(現・平和首長会議)の会長として「2020年までの核兵器廃絶」を提唱した秋葉忠利氏(77)は、NPTの役割と限界を指摘する。その上で、核兵器禁止条約に反対する日本政府の姿勢について「『唯一の被爆国』を名乗るのはおこがましい」と手厳しい。核なき世界の実現へ、秋葉氏にその思いを聞いた。(共同通信=徳永太郎、池田絵美)

 ▽不誠実な核大国、NPTが果たした役割

 発効から50年を迎えたNPTは、核保有国を縛る唯一の条約だった。①核軍縮②核不拡散③原子力平和利用―が3本柱だ。このうち、平和利用を問題視する人もいるが、当時はそういう状況の中でしか条約はできなかった。現実として受け止め、どのように使っていくかが大事なことだった。

 NPTは、締約国が核軍縮交渉を誠実に行う義務を定めている第6条が重要だ。条約としては良かったが、問題は核保有国や、核の傘の下にある核依存国がこの核軍縮交渉義務を守らなかったことだ。

 2014年、マーシャル諸島が、米国、英国、フランス、ロシア、中国の核保有5大国に加え、事実上の核保有国であるインド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルの計9カ国に対し、第6条を実行するよう求め、オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)に提訴した。

太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁。中央上の入り江のような色の濃い部分は1954年の水爆ブラボーの実験でできたクレーター=2011年8月(共同)

 マーシャル諸島では、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくしたビキニ環礁での水爆実験をはじめとして、米国が1946年~58年に計67回の核実験をした。管轄権の問題などから訴えは退けられたものの、核大国がいかにひどい政治をしてきたかが明らかになった。強制力がないにしろ、(核軍縮の)方向性を明確に示したNPTという条約があったにも関わらず、第6条を守らず、それを無視した国々があったということだ。

 核兵器禁止条約は、こうした流れの中、2017年に国連で採択された。横暴な核保有国や、核抑止論に毒された国々の言い分を乗り越え、多数決で採択されたことは大変評価すべきことだ。世界の多数派である平和を希求する市民の声が、核大国に対抗する有効な手段として生きてきたと感じた。その基盤として、NPTがあったことは意味があると思う。

 ▽非核運動の指針

 (核軍縮への道筋などを探るため)5年に1度開かれるNPT再検討会議は、前回の2015年は決裂した。最終文書は全会一致でしか採択されないからだ。採択されるかどうかに注目が集まりがちだが、結論だけを重視するのは適切ではないだろう。2000年の会議では、核保有国が核廃絶への「明確な約束」を初めて表明した。ところが期限を設けておらず、結局何もできなかった。

 今年4~5月に予定されていた再検討会議は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期されることになった。会議では、各国が何を主張し、核廃絶に向けて頑張っている国や非政府組織(NGO)がどんな活動をしているのかを確認するのに有効だ。

NPT再検討会議の準備委員会で演説する秋葉忠利さん=2009年5月、ニューヨーク(共同)

 また広島や長崎の被爆者の訴えに耳を傾けてもらえる貴重な場でもある。最終文書が採択されなかったとしても、どういう内容が盛り込まれ、次の5年、10年を国際社会がどう行動しようとしているか、その指針として見るべきだ。

 ▽鍵は産業構造の転換

 私が米国の反核運動家と一緒に活動し始めた1970年代後半~80年代前半、人類を滅亡させかねない二つの大きな問題と言われていたのが核兵器と環境だった。同時に、大きなテーマとして浮かび上がったのが「コンバージョン(転換)」だ。

 核に関連する産業は裾野が広く、雇われている人への影響が大きい。核兵器の凍結や廃絶を実現するためには、産業構造の転換も同時に進めないと説得力がないということだ。

 今、世界で再び環境問題が浮上している。コンバージョンの議論はほとんどされていないが、80年代に比べ技術的、社会的にやりやすくなっていると感じている。

 例えば、欧州を中心に電気自動車(EV)の普及が進んでいる。日本でEVがあまり普及していないのは、国内の主要産業である自動車がガソリン車中心だからだ。EVは災害時に蓄電池として活用できる。小規模な発電システムが浸透すれば「原発は必要ない」という議論にもつながるはずだ。

 こうした環境という新しいエネルギーを反核運動に注入しようとする動きもあり、各国の政治をどのように変えていけるかに注目したい。

「核兵器禁止条約」が採択された制定交渉の会場。日本政府代表の席は空席だった=2017年7月、ニューヨークの国連本部(共同)

 ▽日本の政治を変える

 日本の平和運動は、これまで世界に対する「外向き」の傾向が強かった。象徴的だったのは、1982年の第2回国連軍縮特別総会の際に、核廃絶を求める数千万人分の署名を持って行ったことだ。素晴らしい運動だったが、これからは核兵器禁止条約を国会の議論や選挙の主要テーマにするような活動が必要だ。

 日本政府は核兵器禁止条約を採択した国連の会合にも参加せず、批准もしていない。「唯一の被爆国」と名乗るのはおこがましい。米国の核に依存する政治を変えないと、核廃絶はもっと遅れる。

 政治を変えるためには、国際的にいろいろなノウハウがある。英国からの独立の是非を問う2014年のスコットランドの住民投票は、非核化、つまり英国によって配備された核兵器を撤去し、スコットランドが非核保有国になることが目標の一つだった。

 スコットランドはかなり自治権を持っているが、予算、外交、防衛は制限されている。北大西洋条約機構(NATO)から離脱し、欧州連合(EU)には残ることを掲げた。否決されたが、実定法の規定にある住民投票までこぎつけたという運動だった。

 核兵器禁止条約を批准した国でも反対勢力はいたはずで、NGOなどがどう克服し、批准に結び付けたかを共有することも大事だ。日本の平和運動も、こうした各国の取り組みを学び、核と環境の分野で日本がリーダーシップを発揮できるような政治を私たちがつくっていかなければならない。

  ✕  ✕  ✕

 秋葉 忠利氏(あきば・ただとし)1942年、東京都生まれ。東大大学院を修了し、米マサチューセッツ工科大で博士号取得。タフツ大准教授などを経て、90年衆院選で社会党から広島1区に出馬し当選。99年から3期務めた広島市長時代に、会長だった「平和市長会議」で、2020年までの核兵器廃絶を目指す「2020ビジョン」を提唱した。原水爆禁止広島県協議会(広島県原水禁)代表委員。

© 一般社団法人共同通信社