トップを取れないバングルス、プリンス殿下のアメとムチ大作戦? 1986年 4月19日 バングルスのシングル「マニック・マンデー」がビルボードHOT100で最高位(2位)を記録した日

共有感満載の80年代洋楽ヒット!ビルボード最高位2位の妙味 vol.53
Manic Monday / The Bangles

80年代を代表するガールズロックバンド、ゴーゴーズとバングルス

80年代を代表するガールズロックバンドといえば、前半ならばゴーゴーズで決まりだが、後半ならば… それはもうバングルスで満場一致だろう。

スザンナ・ホフスを中心に81年に結成されたバングルスは、84年にデビューアルバム『気分はモノクローム(All Over The Place)』をリリースするものの、特にヒットも生まれず、いわば鳴かず飛ばず状態を強いられていた。

この81~84年といえばゴーゴーズがブレイクしてヒットを連発していた時代だっただけに、バングルスのメンバーたちは忸怩たる思いを抱いていたに違いない。

85年、そのゴーゴーズが解散、直後に入れ替わるようにしてバングルスがブレイクを果たすわけで、何か不思議な因果関係が存在しているような気がしてならない―― そして、ブレイクのきっかけとなったバングルス初の大ヒットソング、それが80年代51番目に誕生したナンバー2ソング「マニック・マンデー」(86年4月2位)である。

プリンスの作品「マニック・マンデー」、あの「1999」を換骨奪胎?

なんと! この「マニック・マンデー」、80年代に男性スーパースターの座をマイケル・ジャクソンと二分していたプリンスの作品というのは結構有名な話。

元々彼が売り出しにかかっていた女性シンガー、アポロニア(アポロニア6のメンバー)のために書いた曲だったのだが、たまたま耳にしたバングルスのデビューアルバムを気に入ったプリンスが、気前よくプレゼントしちゃったという、なかなかに数奇な運命をたどった曲なのだ(もしかしたらプリンスの下心の推移に翻弄された楽曲とも言えるのかもしれないが…)。

さらには、プリンスの一般的ブレイクのきっかけとなったヒット曲「1999」(83年12位)を換骨奪胎したような作りになっているというのも、巷間指摘されている話だ。

確かにメロディや歌詞の類似点は容易に挙げられるし、「1999」の BPM を落とせば、ほぼ「マニック・マンデー」に… もちろん両曲ともプリンスが作っているわけで、まったくもって何の問題もありません。バングルス版「マニック・マンデー」の完成度を鑑みれば、これが単なる “使いまわし” ではないことは、一目瞭然(一聴瞭然?)。

この曲の全米1位を阻んだのは、なんとプリンス自身の「キッス」

コケティッシュな可愛らしさと万人に訴求するメロディラインを擁する非の打ちどころのないポップソングをバングルスに歌わせたこと。それは今となってはプリンスの慧眼としか言いようがない。そりゃあ、プリンスから楽曲提供されたときは相当ビビっただろうが、しっかりと結果を出したバングルスも天晴れだったということか。

ちなみに「マニック・マンデー」のトップ到達を阻んだのは、何を隠そうプリンスの「キッス」(86年1位)。楽曲提供はするけど、いきなり1位は獲らせないよ! という殿下の “アメとムチ” 作戦。これはもうさすがとしか言いようがない。

※ KARL南澤の連載「共有感満載の80年代洋楽ヒット!ビルボード最高位2位の妙味」
ジャンル、洋邦、老若男女を問わないヒットソングにある ‟共有感”。米ビルボードのチャートがほぼそのまま日本における洋楽ヒットだった80年代。ナンバーワンヒットにも負けず劣らずの魅力と共有感が満載の時代に生まれたビルボードHOT100 2位ソングを紐解く大好評連載。

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etc…

※2018年6月27日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: KARL南澤

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