与謝野晶子とスペイン風邪

 歌人の与謝野晶子が夫の鉄幹と長崎を訪問したのは1918(大正7)年。同年からインフルエンザのスペイン風邪が国内外で大流行した▲死者は世界で2千万~5千万人との説があり、国内でも約39万人に上ったとされる。暮らしは壊れ、わが子も感染する中で不安な日々を過ごしていた晶子は同年11月、根本的な対応をせずその時々に応じて間に合わせで済ますような日本の便宜主義を批判する文を新聞に載せた▲人が集まる場所に「行かない方が良い」などと促すだけの緩い姿勢が許せなかった。「政府はなぜ逸(いち)早くこの危険を防止する為に(中略)多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかつたのでせうか」▲それから約百年後の現在。新型コロナウイルスの感染拡大により、国民が疲弊してきた中で全国に緊急事態宣言が出された。晶子は今の日本をどう見ているだろうか▲本紙の生活面「わが家のコロナ対策」の読者投稿を読むと、国の動向を注視しながら自宅を清潔にしたり手洗い、換気、栄養摂取に努力したりと日々できることを実践。市民の真剣で切実な思いが伝わってくる▲晶子は後にスペイン風邪がさらに猛威を振るう中、「人事を尽くすこと」を強調した。感染拡大防止に向けできることは全てやり尽くす。その気概は見習いたい。(貴)

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