オールドルーキーが中日の定位置奪えた理由 “マスター”阿部を作った「ガッツ塾」

中日・阿部寿樹【写真:小西亮】

15年ドラフト5位の中日阿部は30歳シーズンの昨季に129試合出場してレギュラー獲得した

 その表情からは、生気が失われていた。2016年2月、沖縄・北谷球場での中日1軍キャンプ。ドラフト5位ルーキーだった阿部寿樹内野手は、心の中で叫んでいた。「何なんや、ここは!」。12球団でも指折りだった練習量。想像を絶する環境についていけず、新人1号の脱落者として2軍行きが告げられた。飛び込んだプロの世界は、前途多難な幕開けだった。

 27歳の年に入団し、「オールドルーキー」の肩書がついてきた。明大から社会人のホンダに進み、キャプテンも務めた。「プロはほとんど諦めていました」。中日球団からは重たい背番号5をもらったものの、体と技術がついていかない。「まったくボールが前に飛びませんでした」。1年目の1軍出場は25試合にとどまり、即戦力の期待を裏切った。

 2年目は21試合、3年目は18試合。チームでの存在はどんどん薄れていっているようにも思えたが、覚醒の足音は確かに近づいていた。2軍練習で開かれる「ガッツ塾」。当時の小笠原道大2軍監督による手取り足取りの指導で、しつこいほど下半身を意識させられた。「いかに小手先で打っていたかと思い知らされました。しっかり体を使って、強く振るという感覚が、徐々に染み込んでいく感じでした」。

 迎えた30歳シーズンの2019年。築いてきた土台が実を結ぶ。開幕1軍に入ると、徐々に二塁で存在感を放ち出す。右方向への器用な打撃と、長打もあるパンチ力。気づけば129試合に出場し、7本塁打、59打点、打率.291。柔和な顔つきに蓄えた口髭と顎髭から呼ばれるようになった「マスター」の愛称は、瞬く間に市民権を得ていった。

今季はプロ5年目で31歳「毎年勝負の年。危機感を感じながらやれています」

 教え子のブレークを見届け、ガッツは竜を去った。オフの日に訪れたナゴヤ球場で別れの対面をした阿部は、感謝の言葉とともに頭を下げた。少年時代にテレビで見ていたスーパースターが、汗まみれになって助言をくれた日々。「本当に親身になって教えていただいた。もちろん、いろんな方々の助言があったからですが、今こうして1軍にいられるのは小笠原さんの存在が大きいです」と思いは尽きない。

 真価が問われる2020年。「ダメだったらしゃーないと思っていた去年よりは、気持ち的には嫌ですね。気にしないようにはしていますが、周りから言われるので」。レギュラーだとは微塵も思っていないが、首脳陣が頭数として計算しているのは分かっている。新型コロナウイルス感染拡大の深刻化でシーズン開幕はまだ見通せないが、来るべき日に堂々と二塁に立つ準備は惜しんではいない。

 4年前のルーキーイヤーを振り返り、思わず苦笑する。「気持ち的にいっぱいいっぱいで、野球をやっていた記憶がほとんどないんですよ」。そんな劣等生は、すっかり別人になった。まだプロ5年目だが、31歳を迎えるシーズン。「毎年、勝負の年だと思ってやってきたのがよかったんだと思います。危機感を感じながらやれています」。背筋を正す言葉を胸に刻みつつ、髭面の表情に自信を宿していく。(小西亮 / Ryo Konishi)

© 株式会社Creative2