初参戦のJFLは甘くなかった。初勝利は開幕から5戦目。ホーム初白星までは、さらに6試合を要した。成績不振からシーズン中に2度の監督交代を経て、一時は6位まで浮上。J2昇格圏に手が届く位置まで来たものの、終盤に息切れして結局は12勝8分け14敗の11位に沈んだ。
悩みはピッチの中だけにとどまらなかった。Jリーグへの入会基準を満たすホームスタジアムが確保できないとして、9月に翌年のJ2昇格断念を発表。この時点でたとえピッチで結果を出しても、昇格できないことが決まった。ホームとして使用していた旧県立総合運動公園陸上競技場が、2014年の長崎がんばらんば国体に向けて改修工事に入るため使用できず、代替会場のめども立たなかった。
シーズン終了後、元日本代表FW中山雅史(現アスルクラロ沼津)の獲得を目指すと発表したが、これもかなわなかった。
先が見えない中、最後まで走り続ける選手もいた。このシーズン、26歳にして初めてプロ契約を結んだMF田上渉(現国見高コーチ)。全34試合にフル出場し、草創期から知るチームを懸命に奮い立たせた。
V長崎15周年<5> 初参戦は苦悩の連続 初勝利は開幕から5戦目 2009年(JFL)
- Published
- 2020/04/19 15:30 (JST)
- Updated
- 2020/06/24 11:50 (JST)
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