田中悠輝(映画『インディペンデントリビング』監督)- 障害者の自由や自立を通じて自分を見つめ直せる傑作ドキュメンタリー

障害者の自立生活を一般化する装置としての映画

──この映画を作るきっかけは?

田中:最初は映画を作ろうというのではなく、映像の会社にいてヘルパーもやっていたので「障害者の世界のいろんな動きを、活動の記録として撮って欲しい」と当事者から言われたんです。

──監督が障害者の支援に携わるようになったのはなぜですか。

田中:大学3年の時に3.11があったのが大きなきっかけでした。大学を出てすぐに路上生活者の支援に関わり始めました。抱僕(ほうぼく)という北九州で奥田知志さんという牧師さんがやっている生活困窮の支援の現場があり、そこで働くうちに〈自立生活運動〉を知りました。

──映画の中で施設と自立生活センターの違いが言われていますが、どういった違いなのでしょう?

田中:いわゆる施設というのは、食事や活動の時間、寝る時間などまで決まっている、管理型の隔離された場所になります。昔の日本社会においては、障害者は無き者とされていたりするような酷い状況があった中で、最初は一種ユートピアとして想いのある人たちによって作られたという歴史的経緯もあると思うのですが、それが一方では分離のための拠点になっている。魂が抜けていってしまい形骸化したそれは、もはや牢獄でしかないというような状況が生まれてきていて、そこから出て地域で暮らす選択肢のひとつとして、自立生活が用意されるべきだろうと。自立生活センターは障害者の自立を支援する拠点で、運営も障害当事者が行なっています。しかし自立生活がまだまだ認知されていないという問題意識があり、それを一般化するための装置のひとつとして映画というのがあったほうがいいんじゃないか?という思いがあります。

──出演している障害当事者の方々が、凄い人たちですね。

田中:本当に意志の光というか、その形が凄いクリアで。「どう生きていこうか?」ということを、僕自身もここまで考えたことはなかったなって感じますね。

健常者でも力を奪われていくような社会

──センターを運営している人たちが、自身も障害を負っている人たちだというところも凄いです。

田中:運動の現場にいるのは、それをやるための力みたいなもの、障害と共にパワーも与えられた人たちなんです。当事者がやっていることの強みとして、諦めない力みたいなものがあるように思います。

──映画のタイトルは、IL運動(インディペンデントリビング運動)からですよね?

田中:そうです。そして〈インディペンデントリビング〉ってカタカナで書くと〈自立生活〉の意味を離れて、自立して生きていく生き様のようにも感じさせるなと思って。

──身体的障害者だけではなく精神的障害者の方も出ていますね。

田中:IL運動は身体障害者の人が牽引してきたのですが、制度も変わってきて今では知的・精神の障害の方もヘルパーを使えるようになっています。映画の中に平下さんが言う「喋れるやつだけじゃなくて、喋れない人たちの心も覆い込んでいくことが大事」という言葉がありますが、そういう人たちを取り込むんだっていう彼の想いを撮ることも大事だったんです。

──出演している方々が個性的で面白いのですが。

田中:センターがそれぞれの個性を認めるし、それを伸ばしていこうみたいなところがあって、「変わっていけ!自分を出していけ!」みたいな感じの豊かな土壌があったというのがありますね。

──よく考えれば出演している方々みたいな人って、普通に自分の周りとか友達にいて、そんなの普通だと気づける映画だなと。

田中:「そういう人たちもどうしたら一緒に過ごし続けられるのか?」ということを考えられる事例を、いろんな場面でちょっとずつ散りばめた感じなので、想像力を膨らませていけると思うんです。障害者の人だけじゃなく、いわゆる健常の人でも力を奪われていくような社会だと思うので。

その人そのまま、デコボコなままを受け容れる

──相模原の障害者施設の事件についての想いもあって、この映画を作られたのかなと思ったのですが。

田中:彼の記録とかを読んでいても、どこにおいて大量殺戮までの飛躍があったのかがわからない。先日、東京大学の熊谷晋一郎さんと対談した時に「家族や施設職員など恒常的に介護を担っている人に、凄い負荷がかかっていて、その過度の負荷が差別意識みたいなものを生んでしまうようなところがあるんじゃないか?」ということを言っていたんです。それを考えた時に〈構造の問題〉だと思ったんですよ。施設職員や障害を持つ人の家族などにも、構造的に暴力がはたらいている。そういう状況ができていると考えた時に、親元や施設から出ていく自立生活という道があれば、親も子も自分の人生を生きることができ、施設の負担も減る。この映画は凄く間接的な形ではあるんですけど、そうした暴力的な構造を〈健全化する道として自立生活がある〉というところで、ひとつメッセージにはなるんじゃないかと思います。

──相模原の事件は、障害者当事者にとっては大変な事件だと思います。

田中:とても不気味ですよね。相模原の事件が起きたのは、この映画を撮り始めた頃だったんです。時代が彼にそれを言わせたみたいなところがあって、その背景には「障害者は不幸を生むことしかできない、お荷物だ」という彼の言葉と似た考えを持つ人がけっこういたのではないかと思うんです。彼がそうした考えに至った後ろにいる人たちを考えると、とても空恐ろしいし、それについて解明や整理がなされず裁判が終わってしまい、何もわからないまま、この構造が変わらなければ、植松さんはまた生み出されてしまうと思うんです。

──やはりこの映画は、相模原事件に対する答え的なものでもあったりするんですか?

田中:そうですね。僕なりの答えではあります。今の社会は〈標準〉とされている人たちのために設計されているけれども、その〈標準〉とされる範囲ってめちゃくちゃ狭いと思うんです。そこから周辺に追い出された人たちがいろんな形でいて、「障害とは個人にあるのではなく、個人と社会の間にある問題であり、社会の側の責任としてある」ということを考えた時に、「どう組み替えて社会環境を変えていくか?」というところに意識を持っていかなきゃいけない。それはこの運動がずっとやってきたことなんです。去年、障害者権利条約の関係でベルギーに行ってヨーロッパのデモを見てきたんです。その時に〈FIX THE SYSTEM NOT ME(システムを直せ!私じゃなくて!)〉という言葉が書かれたプラカードが障害者の車椅子の後ろに差してあって、めちゃくちゃかっこよかったんですよね。人材とかいう言葉がありますけど、その材になるためにいろいろ削り落とされて整型されていくのではなく、「その人そのまま、デコボコなままの形を受け容れることができるシステムを考えるべきだ」と、最近はずっとそう考えています。

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