元大洋カルロス・ポンセ氏が明かす日本への愛 尽きないスーパーカートリオへの感謝

台湾・味全の打撃コーチを務めるカルロス・ポンセ氏【写真:本人提供】

現在は台湾プロ野球・味全ドラゴンズの打撃コーチ、大洋時代の思い出は「スーパーカートリオ」

 かつて横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAべイスターズ)で1988年に本塁打、打点の2冠王に輝くなど大活躍したカルロス・ポンセさん。口髭を蓄えた容貌がゲームソフト「スーパーマリオブラザーズ」のキャラクターに似ていたことから「マリオ」の愛称で親しまれた。日本向けのYouTubeチャンネルを開設し、人気が再燃しつつある懐かしの助っ人の今に迫った。

 61歳になったポンセさんは、今季から台湾・味全ドラゴンズの打撃コーチに就任した。味全は、巨人で活躍した呂明賜も所属したことがある名門。1999年に解散したが、昨年6月にCPBL(中華職業棒球大聯盟)に再加盟し、今季は2軍、来季から1軍に参入することになっている。「私にとって新しい経験です。2021年シーズンに向けて、若い選手を中心に1軍や2軍のチームと戦っていますが、これはチームにとっても非常に大きな挑戦です」とポンセさんは意気込む。

 大洋には5年間在籍し、本塁打王を1度、打点王を2度獲得し、ベストナインにも外野手として2度選出された。90年限りで退団し、現役引退。「その後の30年間、ずっとアメリカのフロリダ州ウエストパームビーチに住んでいます。日本を去ってから、アメリカでマイナーリーグのコーチになりました。モントリオール・エクスポズ、フロリダ・マーリンズ、ミルウォーキー・ブルワーズと7年間に3球団で監督や打撃コーチを務めました。それからは、中学生や高校生の選抜チームのコーチ、個人レッスンをしながら、その間、バドワイザービールや老人ホームの運転手も務めました」と振り返る。

現役時代はノーヒットで家に帰ると夕食はピザ1枚?「それは妻のアイディア」

 日本で活躍し、ファンに愛された日々のことは忘れられない。「いつの日か、日本で監督になることが私の大きな夢です。台湾にいることで、将来の私のキャリアの扉がさらに広がることを願っています」と繰り返し口にするほどだ。

「子供たちが『スーパーマリオ』と呼び始めて、皆さんが楽しんでくれるのが、私もうれしかった。今でもこのニックネームを気に入っています」と懐かしむ。「横浜、東京、それ以外にも名古屋、大阪、広島、北海道など、私が選手として訪れた場所は、とても気に入っています。3年前、家族と一緒に鳥取砂丘を訪れる機会がありました。とても楽しい思い出で、新しいお気に入りの場所となりました」と“日本愛”をアピール。「私は日本人の皆さんが大好きです。皆さんが日本の文化に愛情と誇りを持っているところが大好きです。もちろん日本食もね」とラブコールを送る。

 大洋時代、ノーヒットで家に帰ると、夕食はピザ1枚しかもらえないとこぼしていたが、「それは妻のアイデアでした。87年に『もしノーヒットだったら、今夜はピザ1切れだけよ!』と言われたのが始まりまりでした。でも、心配しないでください。それはもちろん私のモチベーションを上げるためのジョークでした」と“鬼嫁伝説”の真相を明かした。

 当時は、1番・高木豊、2番・加藤博一、3番・屋鋪要の俊足3人が「スーパーカートリオ」と呼ばれ、4番をポンセさんが務めることが多かった。「彼らはいつも出塁して、私に打点を稼がせてくれました。89年の阪神とのホームゲームで、2点ビハインドで加藤さんが生還し、高木さんがセカンド、屋鋪さんがファーストにいました。私に打席が回り、レフト線にツーベースを打って屋鋪さんが決勝のホームインをしたのを覚えています」

「5年間一緒に過ごしたチームメートのことは、忘れられないね。特に加藤博一さん!」と、2007年1月に肺がんのために56歳の若さで死去した故人をしのんだポンセさん。さらに「高木さんは私のお気に入りのバッターでした。彼はとてもアグレッシブで、常にヒットゾーンに打球を転がす。三振に取るのはとても大変だったと思います。お気に入りのピッチャーと言えば、遠藤(一彦)さん。とても粘り強く、いつも6~7回までマウンドに立っていました。彼のフォークボールは、相手打者にとっては要注意だったね」と思い出は尽きない。

来年に延期となった東京五輪は、野球の決勝がかつての本拠地・横浜スタジアムに

 当時対戦したライバルチームの好投手のことも、脳裏に焼き付いている。「中日の郭(源治)投手、広島の川口(和久)投手など何人かいますが、ベストピッチャーと言えば、巨人の槙原(寛己)投手ですね。真っ直ぐにカーブ、フォークも素晴らしかった。ほとんど三振に取られたんじゃないかな」

 タイトルを争った他球団の強打者の面々も手ごわかった。「阪神のランディ・バース選手、中日の落合(博満)選手はすごかったですね。彼らは打率を残せてパワーもある、完璧なバッターで、ピッチャーは対戦する前に本当にいろいろ考えて対策を練らなければいけませんでした」

 来年に延期された東京五輪は、野球の決勝が、かつての本拠地・横浜スタジアムで行われる。「横浜で、日本が野球をどれほど愛しているかを世界に示す、絶好の機会です。エキサイティングな大会になることは間違いない」と断言。チームはホエールズからベイスターズへと様変わりし、かつてに比べて観客動員が増えており、「DeNAは横浜を最強のチームに作り変えるために、組織を拡大し、素晴らしい仕事をしました」と評する。

 昨年3月には、日本向けに自身のYouTubeチャンネルを開設。「数年前にシュンスケさんという友人ができました。彼は昔から私のファンで、私のFacebookで、私が子供たちにコーチをしている投稿を見て、『YouTubeに動画をアップしたらどうですか?』と連絡をくれました。『私1人では、そこまでする時間がないんだ』と言うと、彼が手伝ってくれることになりました。私が動画を彼に送り、編集して日本語訳を付けてくれています」と明かし、「YouTubeは、日本のファンの皆さんと交流するのにとても良い方法です」と笑った。

 インタビューの最後を、ポンセさんは愛してやまない日本へのメッセージで締めくくった。

「まず、長年に渡ってチームと私を応援してくださっているファンの皆さんに、感謝申し上げます。そして、ファンの皆さんだけでなく、日本の皆さん。新型コロナウイルスの感染が拡大していますので、健康と安全には十分注意してください。私の心と祈りは、常に皆さんと一緒にあります。一緒に打ち勝ちましょう! がんばれ日本!」(取材協力・B-creative agency 亀田恭之)

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