江夏豊の401Kに“無敗”、90試合の鉄腕も…プロ野球不滅の大記録【シーズン投手編】

阪神・南海などで活躍した江夏豊氏【写真:荒川祐史】

シーズン42勝をマークした稲尾和久とスタルヒン、江夏豊は401奪三振

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、プロ野球は開幕が延期となり交流戦も中止となった。これまでプロ野球界では様々な大記録が生まれたが、ここでは先人たちが残した“不滅の大記録”を振り返ってみる。現代野球では不可能に近い成績を残したのは誰なのか?【シーズン成績・投手編】

 投手分業制が当たり前になった現在ではあり得ない勝利数を記録したのは1939年の巨人・スタルヒン氏と1961年の西鉄・稲尾和久氏のシーズン42勝だ。(※はシーズン記録2位)

○スタルヒン 68試合登板、458回1/3、42勝15敗、防御率1.73 282奪三振
○稲尾和久 78試合登板、404回、42勝14敗、防御率1.69 353奪三振

※1942年 大洋・野口二郎 40勝

 先発は一人で投げ抜く時代を生きた2投手。1939年はシーズン96試合で行われ巨人は66勝をマークしているが、そのうちスタルヒン氏が42勝とほぼ一人でチームを支えたといっても過言ではない。1961年はシーズン130試合で西鉄は81勝、稲尾氏も半分以上の勝ち星を挙げたがチームは3位だった。

阪神の久保田智之はシーズン144試合のうち90試合に登板する鉄腕ぶりを発揮

 現在はシーズン200三振を記録すれば最多奪三振のタイトルに手が届く中、シーズン400奪三振をマークしたのは1968年の阪神・江夏豊氏だ。

○江夏豊 49試合登板、329回、25勝12敗、防御率2.13 401奪三振

※1961年 西鉄・稲尾和久 353奪三振

 プロ2年目の1968年に成し遂げた大記録。当時の日本記録保持者だった稲尾氏の354奪三振を抜き、354奪三振目を巨人・王貞治氏から奪ったエピソードは有名だ。三振といえば1971年のオールスターで記録した9連続奪三振も大記録として残っている。2000年代を見せてもシーズンで最も三振を奪ったのは2011年の日本ハム・ダルビッシュ有(現カブス)の276奪三振。江夏氏の数字がいかに飛び抜けているかが分かる。

“鉄腕”の異名を誇ったのは2007年の阪神・久保田智之氏だ。

○久保田智之 90試合登板、108回、9勝3敗、46ホールド、防御率1.75 101奪三振

※2019年 西武・平井克典 81試合登板

 ウィリアムス氏、藤川球児と共に「JFK」としてリーグ屈指の中継ぎ陣を形成。この年は藤川が抑えに回り、久保田氏はセットアッパーとして起用され144試合中、90試合に登板しフル回転。自身初のオールスターにも出場した。

 その他にも勝率1.000、無敗でシーズンを終えた投手は1936年のタイガース・景浦将氏、1937年のタイガース・御園生崇男氏、1981年の日本ハム・間柴茂有氏、そして2013年の楽天・田中将大の4人だけ。景浦氏は8試合の登板で6勝0敗、御園生氏は15試合に登板し11勝0敗、間柴氏は27試合に登板し15勝0敗、田中は28試合に登板し24勝0敗1セーブだ。(Full-Count編集部)

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