
新型コロナウイルスの感染拡大による閉塞感が世の中を覆っている。
仕事がままならなくなったという話があちこちから聞こえてくる。
シネマチャートの評者としての私の仕事は試写室で映画を見ること。
毎週2本の映画を見るが、取り上げる作品でなくても興味がわけば見る。
それは趣味でもあり、女優業にとっての学びでもある。
私にとって、映画を見ることは、食事を楽しむくらい になっていた。
それが、どうだ。
4月に入ってほとんどの試写室は閉鎖され、映画館もクローズ状態。
まさかとは思っていたが、映画館に存続の危機が迫っている。
規模の小さいミニシアターなどはひとたまりもないだろう。
全国に100館くらいあるといわれるミニシアター。
上映される作品が個性的で、社会の変化を映す鏡になっている。
また、作り手や観客に寄り添う劇場としての魅力もある。
されど今、ミニシアターはコロナの影響で苦境に立たされている。
閉館を覚悟しているところもあると耳にする。
そんなミニシアターを救おうとさまざまなプロジェクトが立ち上がった。
映画監督たちが発起人となった「ミニシアター・エイド基金」もその一つ。
これは、クラウドファンディングで集めたお金を、ミニシアターの運営団体に寄付しようというもの。
4月13日の時点で66団体、78劇場が参加している。
この基金に参加することで、映画文化の多様性を守る一員になれるという触れ込みだ。
ミニシアターは、大手の劇場では難しいプログラムも上映することができる。
また、新人クリエイターの登竜門としても映画文化の多様性を育み支えてきた。
今は、私たちがミニシアターに手を差しのべる時ではないだろうか。

最近、ミニシアターの危機を取り上げた週刊新潮WEBの記事の中で、渋谷ユーロスペース支配人の北條誠人さんが答えていた。
その内容をなぞるようにして何度も読んで私は涙した。涙が枯れるくらい泣いた。流した涙はまるで血の涙みたいに辛かった 。
特に北條さんの最後の言葉は、私の今後の人生にも深く残っていくと思う。
振り返れば、私自身もミニシアターとともに女優人生を歩んできた。
1985年に『ドレミファ娘の血は騒ぐ』でスクリーンデビューした私。
同年5〜6月に開催された「ぴあフィルムフェスティバル」で特別上映されたが、その公開までには紆余曲折があった。
何とか公開してくださったのが当時、西武劇場から秋にリニューアルしたばかりの「PARCO劇場」。
こんなに素敵な劇場で女優としてのスタートを切れるなんて!
当時、大手映画館で華やぐ女優たちを尻目に、私はまるでパリの小さな劇場にいるフランス女優の気分だった。
「PARCO劇場」を皮切りに、池袋の西武デパートにあった「スタジオ200」での上映。
フィルムがニョロニョロとミニシアターを渡っていった。
映画を見にいくのもミニシアター。
六本木にあったシネ・ヴィヴァンの階段をスパイのように身を隠しながら降りる日々。
三鷹や吉祥寺の名画座、銀座や渋谷のミニシアターの暗闇に立ち寄ることしばしば。
ある日、家出をした私に優しかった伊勢佐木町の横浜シネマリン、黄金町のジャック・アンド・ベティ。
出演作品上映でお世話になった神戸元町映画館や大阪・第七藝術劇場、沖縄・桜坂劇場などなど。
私とミニシアターの関係はかくも深いのだ。

デビュー25周年の節目に、渋谷のシネマヴェーラで『洞口依子映画祭』をやった。
そんな大胆不敵な企画を持ち込む私自身もどうかしているが、その企画を快諾したシネマヴェーラもタダモノではない。
なんと2週間で15本のプログラムとイベントを組んでくださった。
そして、連日ちゃんと観客が集まってくれたことに感動した。
劇場にお客さんを呼ぶことの大変さと喜びを味合わせてもらえたことは、私の女優人生にとっても大きな記念碑となった。
あの時のエネルギーは今でも私を鼓舞してくれる 。

シネマヴェーラには他にも忘れられない思い出がある。
前年に開催された「黒沢清特集上映」。
劇場内は、黒沢清監督と青山真治監督の対談イベントで満席。
そこへ、私が通路の階段にそっと忍び込んで手を上げたのだ。
その時の静かなる興奮は今でも体が覚えている。
「マジかよ」「どこだよ」「え、ここに洞口依子がいるの?」と、観客たちはまるで幽霊にでも出くわしたように暗闇でざわざわと見えにくい私を探していた。
二人の映画監督が登壇してしゃべっている最中に、女優が階段に座って手をあげてトークにいきなり参加するというありえない展開。
そんなハプニングをも許容するのがミニシアターの懐の深さかもしれない。
シネマヴェーラ館主に“女神降臨”とまで言わせた奇跡のような出来事だった。
以降、私はミニシアターで自主企画を持ち込んでは劇場と作品と観客をつなげてきた。
ある時、ユーロスペースで私の主演作品が上映されていて連日満席だと聞き、北條さんに私はあることを直談判した。
「今からチケットを買って見るけれど、上映後に客席から挨拶してもいいですか」と。
突然の申し出に北條さんは目を白黒させていたが、「お手間はとらせません。そのまま前方客席からお客様に一言お礼を述べるだけですので」と返すと、どうぞどうぞと笑顔で劇場へ迎え入れてくださった。
満席の劇場。
暗闇から明かりがともると、さっきまでスクリーンで微笑んでいた私が リアルに目の前に現れ「本日はご来場誠にありがとうございました」といきなりお辞儀をしている。観客は何が起きているのかよく理解できない様子だった。
出口で一人一人に丁寧に挨拶をし、お見送りをしていると、やっと状況が把握できたのか、お客様はたいそう喜んで帰っていく。
以降、上映の最終日まで私は毎日劇場へ通い、映画を見てくださったお客様を見送った。

ミニシアターの醍醐味はこういうとこにもあるのだろう。
前出のWEBの記事で北條さんはこうも言っている。
「ミニシアターに求められる社会的役割とは、お客さんと劇場が、ともに〝変革〟に立ち会うことだ」と。
今まで見たこともないような作品を上映して観客とともに盛り上がるのだ。
コロナの影響で人が集うことは避けられ、そこにどんな文化が生まれるのかはこれからの課題となるのだろう。
しかし、何と言っても、映画は大きなスクリーンで見るからいい。
大好きな女優の魅惑的なクローズアップだったり、怪獣が大暴れしたり、いかしたヒーローが颯爽と車に乗ってやってきたり。
「映画は大きなスクリーンで見るもの」と思い込んでいるのは古いのかもしれない。
これからは、映画はネット配信で楽しむのが当たり前になるのかもしれない。
『コングレス未来学会議』(2013年 アリ・フォルマン監督)では、俳優の全身をスキャンしてデジタルデータ化する近未来が描かれる。
もしかしたら、この映画のようにバーチャル俳優が演じて、生身の俳優がお払い箱になる時代がくるのかもしれない。
そんな時代がやってきても、映画館の暗闇だけは存在するだろう。
そこには、新旧問わず、映画のフィルムだけがニョロニョロと徘徊し、カラカラと音を立てて生き残っているという。
ウイルスがまん延した世界にシェルターで生き残っている者だけが楽しめる新しい映画のあり方。
ディストピアの中で、新しい作品と古い作品がまるでゾンビのように交差していく。
そんな世界が訪れるかもしれないと妄想している私がいる。(女優・洞口依子)
