【動画】空中散歩 西海・八ノ子島十字架

横瀬浦の入り口に八ノ子島の頂上に鉄製の十字架が立つ。奥の陸地は佐世保市=西海市西海町

 「港の入り口に高く丸い島がひとつあり、その頂上には美しい十字架がひとつ立ち、それは遥(はる)か遠方からも望める」。1562年、開港間もない横瀬浦(現・西海市西海町)に赴任したポルトガルの修道士、アルメイダは八ノ子島をこう記した。
 今では佐世保への定期船が1日11往復通う小さな港だが、領主の大村純忠が平戸を追われたポルトガル人のために港を開き、貿易とキリスト教布教を認めた。十字架を道しるべに南蛮船が来港した。
 「西海町郷土誌」によると八ノ子島は「聖ペドロの島」と呼ばれた。横瀬浦には教会が建ち、純忠は63年5月に洗礼を受け、日本初のキリシタン大名に。しかし、同年8月、大村氏の内紛で焼き打ちに遭い、貿易の拠点は福田(長崎市)を経て、長崎に移った。
 1962年、開港400年を祝い、地元住民らが高さ約7メートル、幅約3.6メートルの鉄製の十字架塔を再建。2009年に、市民や企業、市から集まった募金や助成金で修繕、輝きを取り戻した。年末年始には、地域おこしグループ「西海八ノ子会」が塔のライトアップを20年以上続けている。会長の永野正善さん(56)は「帰省した人などが楽しみにしている。地域のシンボルを大切にしたい」と話した。

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