TURNING POINT #010 一撃必殺の蹴りで頂点を目指す(テコンドー、長野聖子・J:COM大分ケーブルテレコム)

 新型コロナウイルスの感染拡大によって大会の有無や強化合宿の日程が定まらない。アスリートにとって目標を定めづらい状況が続くが、嘆いてばかりもいられない。今年2月の東京五輪日本代表選考会で敗れたテコンドーの長野聖子(J:COM 大分ケーブルテレコム)は、再起に向けて歩みはじめた。

 

鋭く、しなやかな前足上段蹴り

 

 2000年シドニー五輪から正式競技に採用されたテコンドーは、空手とキックボクシングをミックスしたようなフルコンタクトの格闘技だ。国技とされる韓国をはじめ中国や台湾など東アジア、最近は格闘技人気の高いロンドンなどヨーロッパでも注目を集める。直径8㍍の八角形コートを戦いの舞台とするこの競技は、ヘッドギアや胴プロテクター、ハンドグローブなどを装着するが、競技に用いられるのは己の肉体のみ。競技者は対峙した選手にパンチと蹴りを繰り出し、技の種類により決められたポイントを獲得する。

 

 身長170㌢の長野の得意技は、手足の長さを生かした前足上段蹴り。鋭く、しなやかに相手を捉える。技の習得の原点は幼少期。師範である父の道場で4歳からテコンドーを始めた。長野は「物心ついたときにはテコンドーをやっていた。遊びの一つだった」と振り返る。見よう見まねで動きを覚えていくうちにダイナミックな蹴り技の美しさに魅了されていった。幼い頃から体は大きく、長野の大胆な足技はいつしか大きな武器となった。小学3年時のジュニアの全国大会で初めて日本一になり、高校ではジュニアの日本代表になり、将来を嘱望された。

 

 しかし、高校卒業とともに韓国の東亜大学に進学した時、初めての挫折を味わう。環境の変化、言葉の壁、文化の違いに戸惑ったこともあるが、それ以上にテコンドーの本場でレベルの違いを見せつけられた。体の強さ、体力、スピードでは同年代の日本人選手と対戦して劣っていると全く感じたことはなかったが、「韓国の選手は全てで上回っていた」と長野は感じた。また、毎日3部練習のテコンドー漬けで「オンオフの切り替えができず、心に余裕がなくなっていた」と、異国で3年間が過ぎた頃に競技を辞めた。

再起に向けて歩みはじめた長野聖子

競技人生を変えた師との出会い

 

 1年の空白はあったが、「自分にはテコンドーしかない」と帰国後に競技に復帰する。時同じくして現在の師に出会う。タイ代表のコーチの経歴を持つ金載祐(キム・ジェウ)さんに指導を仰ぎ、これまでと異なる感覚をつかんだ。「自分が一番強いと思いなさい」、「もっと強くなれる」。金コーチの前向きな言葉に気持ちが奮い立ち、細かい一つひとつの動作にキレと力はみなぎった。選手にとって良き指導者との出会いは人生を変える。復帰から3カ月後の全日本選手権で初優勝し、翌年に連覇を遂げると日本トップクラスに名乗り出た。

 

 金コーチから戦略と駆け引きを学び、理論的に試合を進めることができるようになると、戦いの場を世界に移しても通用した。2018年のアジア選手権大会3位を皮切りに、世界各国のオープン大会で武者修行して力をつけた。東京五輪出場への期待は高まったが、五輪には長野が本来の階級とする53㌔級がないため49㌔級で勝負しなければならない。今年2月にあった東京五輪日本代表選考会では、直前の練習で肋骨を骨折して思うように練習ができず、きつい減量も重なり「本調子にもっていけなかった」(長野)。初戦で敗れ、大きな目標を失った。

 

 4年に一度の五輪はアスリートにとって“夢舞台”だ。夢破れた者にとって、ポッカリと開いた穴を埋める作業はたやすくない。傷心した傷が癒えぬまま長野は地元・中津で開催される全日本選手権の出場が決まっていた。東京五輪日本代表選考会が終わって2日後から練習を再開したが気持ちが入らない。それでも気持ちを奮い立たせた。「周りの応援が力になった」と大声援を背にコートに立ち、見事頂点に立った。成長の余白を残す24歳は、「安定した勝てる選手になりたい。そのためには、体力をつけ、しっかりポイントを取れる技術も磨きたい。まずは来年の全日本での連覇が目標」と明確な目標を見据えた。静寂を切り裂くような一撃必殺の蹴りで、観客を魅了するつもりだ。

全日本選手権で連覇を目指す

(柚野真也)

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