小さな昆虫の繭が、世界で活躍するアスリートたちの爪を守る―。絹織物の産地、群馬県桐生市の染色加工会社「アート」が競技者向けの爪補修液を開発・販売した。原料に使われているのはスズメバチや蚕の繭。自然由来の原料を元に製造した製品は米国のアンチ・ドーピング基準(BSCG認証)をクリアし、東京五輪・パラリンピックでも使用可能だ。同社の伊藤久夫社長(78)は「指先を強くすることで、最高のコンディションで競技に挑んでほしい」と来年に延期となった夏の祭典へ、一役買うことを願っている。(共同通信=設楽勇太)
新たに売り出した補修液の名は「ホーネットシルクネイルローションforアスリート」。ソフトボールや柔道、陸上競技など、手足の爪に負担がかかる競技のパフォーマンス向上を狙っている。
伊藤社長によると、開発のきっかけはプロ野球選手が投球の際に爪を割り降板する場面を見てきたこと。若い頃から野球や水泳に打ち込んできた伊藤社長。選手の苦労が痛いほど分かり「指先をテーピングや接着剤で固めているのが現状。爪そのものを丈夫にできないか」と考えるようになったという。
同社はこれまで、蚕の繭から抽出した「セリシン」というタンパク質を用い、保湿性や紫外線の吸収などに優れた生地を開発してきた。その生地を使った衣服を着た従業員から「肌がつるつるになった」という声を受け、セリシンの美肌効果に着目。その機能性を取り入れた化粧品なども製造してきた。
こうした「桐生の技術」(伊藤社長)を生かして始まった製品開発。研究を重ねるなかで、スズメバチの繭から抽出した「ケラチン」というタンパク質が、爪と同じらせん状の構造で同等の強度を持つことを発見した。さらに、セリシンと混合することで保湿しながら爪を丈夫にできることも明らかに。一昨年11月、アスリート用に先駆けて一般向けの製品を販売すると、女性向け雑誌などに取り上げられるなど高い評価を得た。
アスリート用には、鶏の卵殻膜から抽出したタンパク質を追加で配合。爪との結合をより強め、塗ると凹凸がない滑らかな表面に仕上がるという。昨年3月、試作品を米国のドーピング検査にかけ、合格。伊藤社長によると、「ネイル関連の商品でアンチ・ドーピングの認証を得た商品は無かった」という。現在は柔道などの競技団体へ製品を提供している。
そもそも、爪を丈夫にすることがパフォーマンス向上にどれほどの効果があるのだろう。こんな疑問を抱いた記者に伊藤さんは「野生のライオンを見てほしい」とたとえ話を持ち出し説明してくれた。「素手と素足で獲物を捕らえるために、強い爪を突き立てている。爪が弱かったら、地面を強く蹴ることもできない。1秒を争うアスリートには、爪に十分なケアが必要なんです」