ブラック・サバスの低迷期? アルバム「ヘッドレス・クロス」リリース
ドリフターズの新井注が脱退をテレビで発表した時、いかりや長介が「来週からは付き人だった志村けんが加入いたします」と言った。
「は? 志村って誰だよ…」とテレビの前の子供達はこう思ったはずだ。
ブラック・サバスのアルバム、『ヘッドレス・クロス』は1989年4月24日に発売された。時代は次世代のバンドが続々と売れ始めていた。ボン・ジョビやモトリー・クルー、メタリカ等が躍進し、日本でもバンドブーム。そんな時期にこのアルバムは発売されたのだ。
ブラック・サバスと言えば、オジー・オズボーン、ロニー・ジェイムズ・ディオ、イアン・ギランと、それぞれアルバムの特色に差はあるものの、そうそうたるボーカリストが参加していた。
しかし、バンド内での確執が影響してかブラック・サバスはアルバムセールス、ライブでの動員も混迷を極めていた… そんな時代だった。
80年代後半、トニー・マーティンとコージー・パウエルが参加
『ヘッドレス・クロス』がリリースされる前、ブラック・サバスの新ドラマーとして、マイケル・シェンカー・グループやホワイトスネイクで名を馳せたコージー・パウエルが参加と発表された。ファンは「おおおおお!コージーが入るのか?」と喜んだことだろう。そして、その少し後に「ブラック・サバスにトニー・マーティンが参加」というニュースを洋楽誌の片隅で見つけた。
「は? トニー・マーティンって誰だよ…」とファンは皆思ったはずだ。
人気が低迷しまくっていたせいか、それ以上の情報もない。だからこのアルバムの国内盤が出るまで謎のボーカリスト、トニー・マーティンの素性はわからなかった。アルバム発売後にライナーノーツを読むと「オーディションに受かった」的なことしか書いてない…。
後になって知ったのだが、87年にはトニー・マーティンはブラック・サバスに参加していたというのだ。しかしライナーノーツには詳しく書かれておらず、89年になって正式な参加を知った… といった具合だ。
オジーやディオだけじゃない、トニー・マーティンを忘れるな!
それでも実際に聴けば、トニー・マーティンは歌が上手い。曲もいいし、何よりドラムのコージー・パウエルの参加により “思ってたより良いね!” 的な感じでファンは好意的に受け取った。ところが雑誌では酷評の嵐。それだけでなく、ブラック・サバスのボーカリストはオジーじゃないと認めない派は聴きもしなかったことを覚えている。
アルバム『ヘッドレス・クロス』は、むしろブラック・サバスらしさが出ているといえる。だが、当時の人気は低迷していて、この次のアルバム『ティール』も、今でこそ再評価されているけれど、あまりにも客が入らなかったためにツアーの一部は中止になったという。
さらに後年に、オジー・オズボーンやディオを復活させるのだが、結局長く続かずまたトニー・マーティンが復帰するという、わけがわからない程バンドは混迷を極めていった。
今でこそブラック・サバスはレジェンド。だからこそ、このトニー・マーティン期のブラック・サバスも外してはならない。アルバムもトニー・マーティンの歌も決して悪くないのだ。ただ、この時期のアルバムはレコード会社の倒産やセールスの問題があり再発されない…。しかし彼の参加したアルバムはなかなかの出来なのだ。ぜひこの不遇期のブラック・サバスを聴いてみてほしい。
カタリベ: 鳥居淳吉