デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ「カモン・アイリーン」を口ずさんだら? 1983年 4月23日 デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの「カモン・アイリーン」が全米1位になった日

ヒットチャートを追いかけていた理由、それは好きな音楽を共有したい!

ティーンエイジャーだった頃、僕がビルボードやキャッシュボックスといったアメリカのヒットチャートを熱心に追いかけていたのは、ヒット曲そのものよりも、気の合う友達と好きな音楽を共有したいという気持ちからだった。

1983年4月、僕は中学2年になり、新しいクラスメイトができた。お互い顔見知りではあったが、まだそれほど親しくはない。休み時間に集まっても、共通の話題がないから今ひとつ盛り上がらない。そんな状態がしばらく続いていた。

ある日、近くの席にいた女の子のグループが、小学校時代の写真を持ってきていた。友達のひとりがその写真を奪い取ったことで、ちょっとした騒ぎになった。そいつは写真を持って教室を走り回り、僕らのところへ戻ってきた。女の子のひとりが「返しなさいよ、ガキ」と叫び、別の友達が「すぐに返すよ」と返事をした。

僕らは群がるようにしてその写真を眺めた。ほんの数年前なのに、みんなすごく子供っぽく思えた。その中には友達もひとり写っていた。ボサボサの髪にオーバーオールを着て、まるで田舎の子供みたいだった。「うわぁ、ほんとにガキだ」と誰かが言って、僕らはゲラゲラと笑った。

僕はなんとなく「デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズみたいだ」と言ってみた。その頃ちょうど「カモン・アイリーン」が大ヒットをしていたから、もしかすると誰か知っているかもしれないと思ったからだった。

「カモン・アイリーン」とケヴィン・ローランドのオーバーオール姿

デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズは、イギリスのバーミンガム出身のグループで、「カモン・アイリーン」はバンジョーやフィドルなどが楽し気に鳴り響く、田舎のお祭りのような曲だった。ケヴィン・ローランドの破天荒なヴォーカルと土着的なリズムは当時から異彩を放っていたが、今の耳で聴いても、その魅力は少しも色褪せていない。

ミュージックビデオでは、ケヴィン・ローランドがオーバーオールを着ており、他のメンバーの風貌も田舎の農夫みたいだったから、写真の中の友達を見てこのバンドのことが頭に浮かんだのだと思う。僕はサビの部分を口ずさんでみた。

 カモン・アイリーン

すると、友達の何人かが一緒に歌い出したのだ。僕らは顔を見合わせると、一斉に笑い出した。

「変な歌だよなぁ」
「でも、俺は好きだよ」
「ベストヒットUSA でやってたよね」
「あ、そうだ。スティクスの “ミスター・ロボット” は知ってる?」
「♪ ドモドモ」

あの時そんな話をしたのを覚えている。以来、このクラスでは日常的に音楽の話をするようになった。全米チャートを毎週チェックしては、好きな曲の感想を言い合う。ただそれだけのことが、楽しくてしょうがなかった。だから、この頃のヒット曲を聴くと、今でも無条件に楽しくなる。そしてちょっぴり切ないのだ。

ウイルスは僕らを分断したのか? しかし、音楽が分断されることはない

―― 今、僕らはコロナウイルスの猛威に晒されている。感染の恐れから、容易に集まることができない。多くの学校では休校が続いており、教室で友達と音楽の話をすることもできない。

ウイルスは僕らを分断したのかもしれない。しかし、分断とはもっとも非音楽的なものだ。すぐれた音楽は、あらゆる壁を飛び越え、まっすぐ心に届く。そして、その時感じた胸の震えは、いつか誰かの心と共鳴し、繋がっていく。

だから、僕らは今日も明日も音楽を聴く。手を叩き、足を踏み鳴らし、テーブルを叩いて、知ってるメロディーを口ずさむのだ。

カタリベ: 宮井章裕

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