自分の先祖はアイヌかも知れない―。大人になって初めて、自らのルーツを知った人がいる。
北海道苫小牧市出身の森下明さん(仮名、36歳)はそのとき大学生だった。きっかけは偶然受講した「アイヌ文化論」の授業。「あらゆるものに魂が宿っている」。先生が紹介したアイヌの考え方は、幼い頃に母が繰り返し言い聞かせた教えと同じだった。なぜ知らないまま育ったのか。隠されたルーツに気づいたとき、知りたいという思いはやがて、民族の誇りへとたどり着いた。(共同通信=小川まどか)
札幌大で出版文化論を専攻していた森下さん。当時、アイヌといえば「北海道の先住民族で…今もいるんだっけ」程度の認識だった。
「アイヌ文化論」は2005年ごろ、新しく開講した授業だった。アイヌの風習、伝承、言語…。全てが新鮮でおもしろく、どこかで聞いたことがあるような気がした。授業で出会った本田優子教授はアイヌの血を引く人が多い平取町二風谷地区で研究をしてきた。母の実家も平取町。「二風谷っておばあちゃんの家に行くときいつも通るな。うちってアイヌなの?」
心に浮かんだ考えをそのまま母にぶつけてみた。
予感は当たった。高祖母(祖母の祖母)はアイヌ語を話し、口の周りには伝統の入れ墨をしていた。「昔は家に儀式で使っていたおわんや箸がいくつもあってね。おままごとをしては怒られたよ」
驚きと同時にわき起こったのは、なぜ今まで知らなかったのかという疑問だった。
「差別があったから?」。森下さんの問いに母はうなずいた。アイヌの友達が受けていたいじめ。目の当たりにした母は、ルーツを隠して生きてきた。知らない方が身のため。息子には初めから伝えなかった。「時代は変わったんだね」。大学の授業で取り上げられていることを知った母は感慨深げだった。
「先祖はアイヌ」。一気に知りたい気持ちがあふれた。「血筋がどうこうというより、アイヌの教えや考え方が受け継がれていたことがなんだか誇らしかった。自分のアイデンティティーはそこだったんだって。このまま知らなかったらアイヌとしての私が消されるとこだったのかもしれない」
本田教授の下でアイヌ語を学び、二風谷に足しげく通った。工房で伝統の木彫りにも挑戦、卒業時にはイタ(丸盆)を制作した。「先祖といってもたった2、3世代前。近いから余計気になったし、いずれ聞けなくなるかもしれない」
卒業後は車の販売会社に就職し、大学の後輩と結婚した。仕事に没頭し、アイヌについて学ぶことからは縁遠くなった。それでも人なつっこい土地柄が気に入って、二風谷には自然と足が向いた。1年たった頃、二風谷の知人から意外な提案を持ち掛けられた。
「アイヌ式の結婚式をやってみないか」
2回目の結婚式は、伝統の住居「チセ」でいろりを囲んで行われた。祈りの言葉をささげ、新郎は山盛りのご飯を食べる。招待した祖母は民族衣装と鉢巻きを身にまとい、誇らしげだった。「祖母はすごく喜んで、これまで聞いたこともなかったアイヌの話をしてくれた。誇りを取り戻してくれたというか、やってよかった」
制作したイタは自宅玄関に飾られている。「うちもアイヌなんだよ」。9歳になる娘には伝えている。大切なルーツが消えないように。
▽一口メモ「アイヌの人口調査」
北海道が17年に実施した「アイヌ生活実態調査」では「アイヌの血を受け継いでいるとみられるか、結婚などでアイヌと同一の生計を営んでいる人」をアイヌと定義、道内63市町村の1万3118人を確認した。自治体が道アイヌ協会の協力で把握した数で、道内に居住するアイヌの全数ではない。道外に移り住んでいるアイヌも多い。15年の国勢調査では「民族」の項目を設けることが提案されたが「民族の定義が公的に確立していない」として見送られた。
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