野村監督から「野球の話ができる男」と呼ばれた森脇氏 仙台で恒例だった名将との密談

2019年のヤクルトOB戦に出場した野村克也さん(右端)【写真:荒川祐史】

監督経験者では落合博満氏とともに野球観を認められていた森脇浩司氏

2020年シーズン開幕を前に球界が悲しみに暮れたのは野村克也さんの訃報だった。戦後初の三冠王、監督としてもヤクルトを3度の日本一に導くなどプロ野球界に残した功績の大きさは計り知れない。そんな中、野村氏が「野球の話ができるのは…」と認めた“指導者”、監督経験者がいる。著書の中で紹介されているが一人は落合博満氏。もう一人がオリックスで監督も務めた森脇浩司氏だった。

野村監督が楽天の監督を務めていた時期、森脇氏はソフトバンクで1軍内野守備走塁コーチ、ヘッドコーチなどを務める期間があった。楽天の本拠地で試合が行われる時、森脇氏は必ず相手ベンチで野村氏を訪ね、野球談議を行っていた。試合前にコーチがライバルチームの監督と話し合う姿に報道陣たちも興味深々だった。

「南海の大先輩です。挨拶に伺っているうちに……。純粋に人間・野村克也、そして、野村さんの野球観に興味があり学びたかった。試合前に対戦チーム同士の指導者がベンチで話す光景はあまり考えられなかったと思います。記者の皆さんと野村監督の囲みが終わった時間に色々とお話させていただいたことは私のかけがえのない財産で今でも鮮明に思い出します」

自軍の選手がグラウンドに出てくる時には話は終わらせるというルールを自身で決めていたとはいえ、これから試合をする“頭脳”同士の濃密な時間……。不自然な光景であることには違いない。ただ、純粋に学びたかったのだという。

野村氏が楽天を指揮した2006年から09年までは田中将大、岩隈久志の球界を代表するダブルエースが存在したが、十分な戦力が揃っていたわけではなかった。常勝軍団といわれたホークスで王監督の右腕としてチームをまとめた森脇氏は野村氏に多くの質問を投げかけられた。

「『主力は森脇に任せている。特にややこしい奴はね』ってワンちゃんがいつも言っているがベテラン選手、高給取りが多くいる中、どうやって操縦してるんだ?」

「個性に富んだ選手に指示する時は何を考えている?」

「勝てるチームに必要な基盤はどうやって作ったんだ?」

「ずっと視線を感じていた」三塁コーチャーとして野村野球に挑んだホークス時代

他にもホークスのキャンプのキャッチボールや投内連携、サインプレーなどの基本練習の質が高いと球界関係者の間でもっぱらの評判だったことを聞いた野村氏が当時の王監督に尋ねたところ、森脇氏に任せているということも聞いていた。何をどのように伝えて、意識付けさせているのか、名将といえども、気になったという。

森脇氏はダイエー、ソフトバンクのスター選手となっていた小久保、井口、松中、城島ら個性豊かなメンバーたちにもキャンプなどでは容赦ないノックを浴びせ、選手もそれに応えた。しっかりとしたコミュニケーションを図り、「お前たちの姿を常にファンは見ている」と言い聞かせ“ややこしい奴”を束ねていった。

挨拶に行った時、こんな言葉をかけてもらったことも忘れない。

「ホークスの試合前のシートノックは日本一や、お前はノックと三塁ベースコーチで飯が食えるよ」

ベンチ内での議論を行う以外にも試合中、いつも横目で、時には真正面から森脇氏は野村監督を観察していた。逆に三塁ベースコーチとしてグラウンドに立っていると何度も視線を感じた。楽天戦は野村監督との戦いでもあったのだ。王監督からもサインが分かったら自分の判断で取り消すようにと言われていたため、森脇氏も楽天ベンチ、野村監督をよく見ていた。

「野村さんが監督を辞められて何度か会う機会もあって、当時の話を聞くと『お前はサインを見破っているだろう、あのカウントでエンドランを取り消して。俺がコーチに何を話してるのか分かるのか。お前は読唇術をやってるのか』と。そう言ってもらえたのは嬉しかった」

森脇氏の常にチームの3年、5年先を見据えた育成、組織作りのノウハウとその行動力には王監督も絶大の信頼を寄せていた。王監督と共に歩んだプロセスでは生卵をぶつけられた時期もあり、「王監督に最も多く意見した男」と言われ、弱者から強者へ、そして常勝軍団へとチームを作ってきた。

当然、データを使った「ID野球」、弱者が強者に勝つ方法など野村氏の野球観には大きな興味があり、共感を得る部分が多かった。そんな森脇氏の黒子に徹して将を支える姿、そして相手チームの作戦を読み解く指導者としての才能を野村氏も認めていたのではないだろうか。指揮官としてソフトバンクと優勝争いを演じた2014年にも忘れられない出来事があった。(後編に続く)

◇森脇浩司(もりわき・ひろし)

1960年8月6日、兵庫・西脇市出身。現役時代は近鉄、広島、南海でプレー。ダイエー、ソフトバンクでコーチや2軍監督を歴任し、06年には胃がんの手術を受けた王監督の代行を務めた。11年に巨人の2軍内野守備走塁コーチ。12年からオリックスでチーフ野手兼内野守備走塁コーチを務め、同年9月に岡田監督の休養に伴い代行監督として指揮し、翌年に監督就任。14年にはソフトバンクと優勝争いを演じVの行方を左右する「10・2」決戦で惜しくも涙を飲んだ。17年に中日の1軍内野守備走塁コーチに就任し18年まで1軍コーチを務めた。球界でも有数の読書家として知られる。現在は福岡六大学野球の福岡工大の特別コーチを務め、心理カウンセラーの資格を取得中。178センチ、78キロ。右投右打。(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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