オオイタのオリンピアン 中村哲明(メキシコオリンピック・ボクシング)

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 “昭和の牛若丸”と称され、「打たさずして勝つ」アウトボクシングで戦歴を重ねたボクサーがいた。1968年、メキシコオリンピックの男子フライ級に出場した中村哲明さんだ。初めての海外渡航、それがオリンピックだった。「高校1年でボクシングを始めて5年後、あっという間の出来事だった」と当時を振り返る。地元メキシコの選手に準々決勝で敗れた。「勝利への欲がなかった。今思えばもっと手数を増やしていれば良かったかな」と話す。帰国後は大学卒業まで現役を続け、卒業後は指導者の道を歩んだ。

 

 ボクシングを始めたのは津久見高校1年の春。中学でバスケットボール部に所属していたが万年補欠だった中村少年に、当時のボクシング部の顧問が声を掛けたのがきっかけとなった。腕っぷしが強かったわけではない。運動より勉強が好きだった優等生は殴り合いを好まなかった。「痛い思いをしたくない。パンチをもらわないことを第一に考えた」と、距離とタイミングの支配を競う競技性を高めたことが、その後の連勝街道の爆進につながる。相手のパンチをヒラリと交わし、有効打を確実に決める。中村さんは「相手のパンチが当たった記憶がほとんどない」と語る。試合成績は100試合以上でダウン経験はないとのこと。「ボクシングは技術」との考えは、指導者になっても中村さんの幹を成している。

メキシコオリンピックに出場した中村哲明さん

 明治大学進学の際、卒業後は指導者になり、地元に帰ってから後進の指導にあたることを決めていた中村さん。次のミュンヘンオリンピックへの期待も高まったが、現役生活に未練はなくグローブを置いた。「大分から世界チャンピオンを生み出したい」と新たな目標を定め、これまで高校の部活動で指導した。「練習してきたことが実現するのがボクシング。ただ、世界で戦うためには努力以外の勝負勘やセンスが必要なのもボクシング」。これまで全国高校総体で8人の日本チャンピオンを輩出したが、世界には届いていない。

 

 教員を退職した時に教え子からジムトレーナーの依頼があり、二つ返事で引き受けた。今年72歳となるが、「世界チャンピオンを育てるまで辞められない」とミットを持って選手と対峙する日々。「選手を追い込むのも体力がいる」とダンベルを持って体力維持のための自身のトレーニングを毎日続ける。最近は小・中学生を対象に育成年代の育成に力を入れるようになった。「技術が高度になった現代ボクシングは、サッカーや卓球と同じように小さい頃から競技を始めた方が世界に近くなる」と指導にも力が入る。ボクシング熱は衰えるどころか、燃え上がるばかりだ。

72歳となった今も指導に力が入る

(柚野真也)