振り子、一本足、こんにゃく、神主… 名選手が残した球史に残る個性豊かな打撃フォーム

現在はマリナーズの会長付き特別補佐兼インストラクターを務めているイチロー氏【写真:Getty Images】

一本足打法の王貞治、神主、天秤など個性豊かな打撃フォームの数々

バッティングとは、バットを構えてボールを打つシンプルな動作だが打撃フォームも、選手によってさまざまで個性豊かなフォームで一流プレーヤ―になった選手も数知れない。日本プロ野球史に残る「打法」を振り返ろう。

○「神主打法」岩本義行

戦前戦後、南海、松竹などで活躍した長距離打者。固め打ちが得意でNPB史上初めて「1試合4本塁打」を打ったことでも知られる。バットを体の前に垂直に立てて構える姿が、神社の神主が笏を持つ姿に似ていたことから「神主打法」と呼ばれた。本人は「力を抜いてゆったりと構えることを意識していた」と語っている。後年、3冠王3度の大打者、落合博満も「神主打法」と呼ばれた。

○「円月打法」杉山光平

専修大から近鉄、南海、阪急でプレーした外野手。1959年首位打者。打席に立つとバットを真下に垂らし、そこからゆっくりと円弧を描いてバットを立てた。当時、柴田錬三郎の「眠狂四郎シリーズ」という時代小説が大ヒットし、映画化もされた。主演の鶴田浩二や市川雷蔵の刀で円弧を描いて構える「円月殺法」が話題になっていたことから「円月打法」と呼ばれた。

○「天秤打法」近藤和彦

明大時代から立大時代の長嶋茂雄の好敵手だった左打者。その打撃フォームは、他に例を見ないユニークなものだった。バットを頭上に寝かせて構え、右手はグリップのあたり、左手はバットの中ほどに添えた。両手共にバットをしっかり握るのではなく、軽く添える程度。球が来るとバットを軽く跳ね上げて、そこから一気に振り下ろした。天秤棒を担ぐように見えたので「天秤打法」といわれた。この変則打法で、打率2位を4回も記録している。

○「一本足打法」王貞治

早実高時代に投手として甲子園で活躍した王貞治は、1959年、巨人入団後打者に転向。長打こそ出るものの荒っぽい打者で「王、王、三振王」と言うヤジが飛んだ。王は荒川博打撃コーチと新打法の開発に励み、一本足打法を編み出した。1962年7月1日の大洋戦で、初めて一本足を披露した王は、5打数3安打4打点1本塁打の活躍。以後、NPB史上最多の868本塁打を打つ最強打者に育っていく。王貞治の後、渋谷通、門田博光、片平晋作らが一本足打法で打席に立ったが、王に迫る成績を残した打者はいなかった。

近年ではガニマタ打法の種田、振り子打法のイチローなどが有名

○「こんにゃく打法」梨田昌孝

1971年、島根県浜田高からドラフト2位で近鉄に。強肩が売りの捕手として近鉄の守備の要となった。打者としては当初は非力だったが、バットを握るときに力が入り過ぎるという欠点を修正するために、打席で全身から力を抜き、くねくねと体をくねらせる独特の打法を編み出した。初めて披露した時には、球場の観衆がどっと沸いたが、この「こんにゃく打法」にしてから打撃開眼。1980年には15本塁打55打点、打撃.292をマーク。ベストナイン3回を獲得した。

○「忍者打法」市川和正

1980年東海大からドラフト4位で横浜大洋に。控え捕手が長かった。「忍者打法」は打撃フォームではなく、打席での紛らわしい動きのこと。ハーフスイングをしてバットを上に放り投げたり、くるくるまわしたり、ステッキのように地面に突いたりして「振っていない」「バットを止めた」とアピールした。また当たっていないのに痛そうな表情をしたり「ここに当たった」と死球をアピールするなど、審判泣かせで有名だった。打席で、どんな目くらましをするかわからないということで「忍者打法」と言われた。

○「ガニマタ打法」種田仁

上宮高校時代、元木大介とともに甲子園を沸かせた好打者。1989年ドラフト6位で中日へ。二塁手、遊撃手として活躍した。当初はオーソドックスな打撃フォームだったが。30歳を前に打席で股を大きく開いたガニマタの姿勢で腰を落とす「ガニマタ打法」を編み出した。打撃コーチから「左肩が突っ込んで体が開いている」と指摘され、最初から体を開いた姿勢で打席に立てば、これ以上左肩が内に入らない、とこのフォームを考えたという。2001年シーズン中に横浜に移籍してからは内野のユーティリティとして重用された。

○「振り子打法」イチロー

甲子園に出場したものの1992年ドラフト4位でオリックスに入団したイチローは無名の選手だった。しかし打撃センスは抜群で、2軍で頭角を現した。当時のイチローは小さく上げた右足でタイミングをとる「振り子打法」。2軍の河村健一郎コーチとともに開発した打法だ。成績は上がっていたが「1軍では通用しない」と打撃フォームの矯正を指示された。これを拒否したため2軍落ちしたとも言われるが、イチローは「振り子打法」を貫いて1994年には210安打を打ちブレークした。その後、イチローの打法は変化したが、自分が信じた技術を貫き通して活路を見出した好例と言えるだろう。

打撃フォームも、その打法で結果を残してこそ「○○打法」と名前がついて球史に残るといえよう。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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