「平成最後」から1年

 記憶に残るような何かをした覚えはない。きっといつも通りに過ごしたのだろう。あまり話題に上らないが、昨年のきょう4月30日は「平成最後の日」で、翌日に元号が令和になった▲きのうときょうで、何かがいきなり変わるわけではないが、遠い後年から見れば、時代と時代に境界線が引かれ、全く違っているのだろう。はるか遠くから天と地の境目、つまり地平線がくっきり見えるのと似ている、と昨年の小欄に書いた▲確かに、何かにつけて「平成最後の」と言っていたのが「令和最初の」になり、平成回顧が一転、祝賀ムードになりはしたが、何も社会が一変したわけではない。少なくとも昨年のうちは、そうだった▲いま、令和に入って1年足らずで社会の様相はずいぶん変わった。昨年の4月30日は、さみしく、それでいて穏やかな心持ちで平成の歳月に手を振ったが、きょうはどうだろう▲「うちにいよう」を合言葉に、街は静まり返っている。もうじき緊急事態宣言を一斉に解くべきなのか、問い掛けや議論が尽きない▲知恵を絞り、結束して、難局を乗り切った時代といずれ呼ばれたらいい。災いを逆手に取り、働き方をはじめ社会のありようを変えた時代といわれたらいい。ウイルス禍で気鬱(きうつ)ないま、地平線の上に広がる、澄んだ青空を思い描く。(徹)

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