緊急事態条項

 今、“究極の選択”に直面しているかもしれない人たちのことを考える。〈ウイルスに感染すれば健康を損なうが、商売を止めればお金が入ってこないし、しくじれば路頭に迷う〉▲そして、ある人は考えるかもしれない。〈だったら、感染して軽症で済む方に賭ける〉-極端な想像かもしれないが、まるきり的外れでもなさそうな気はする▲もちろん、この選択はおそらく容認されにくい。ウイルスに感染しないことは今、個人の自己決定にとどまらない「社会的な責任」だ。だが、本来、この選択を止めることはできない。憲法は「財産権の不可侵」や「営業の自由」を保障している。きょうは憲法記念日▲〈憲法への緊急事態条項新設に関心が高まっている〉との世論調査結果が昨日の紙面にあった。政府が「緊急事態」を宣言し、国民や社会が私権の制約を容認して、一度にひとつの方向に動く-そんな仕組みを持っておくことが“好都合”に思えそうな事態であることは間違いない▲しかし、それが「誰」にとって好都合なのか-は慎重に冷静に見極めなければならない。またか、と言われそうだが何度でも書く。慣れずにいたい。警戒心を忘れずにいたい▲議論はこの状況が去り、私たちが日常を取り戻してからでも遅くない。それがフェアなやり方だ。(智)


© 株式会社長崎新聞社