モッくん LOVE ♡ シブがき隊「ZOKKON命」を歌って踊った熱い日々! 1983年 5月5日 シブがき隊のシングル「Zokkon命」がリリースされた日

女子中学生は非情である。渡辺徹から本木雅弘へ

1983年の初夏のこと。修学旅行を前にして、必死に踊る女子中学生がいた。それが14歳の私。その経緯が思い出せないが、シブがき隊のファン仲間のクラスメイト2人と私とで、彼らのシングル曲「Zokkon命」を振り付けつきで完全に再現しよう! と決めたから。

その頃私はモッくんの大ファンだった。義両親が内田裕也と樹木希林で、俳優として数々の受賞歴がある、今何かと話題の本木雅弘さんである。彼は見目麗しいだけでなく、コントを演じさせれば抜群のセンスが感じられる、当時のアイドルとしては珍しいタイプだったのではないかと思う。早い話が、かなり「はっちゃけていた」ということ。

「顔だけの男やないで…、惚れたわ!」

それまでは渡辺徹のファンだったが、彼は当時絶賛増量中で、これから一体どうなるのかと思っていた矢先に、新しい王子様が現われてくれた。私はあっさりモッくんに乗り換えた。

女子中学生は非情である。

当時中学生の定番であった缶ペンケースに、同じく定番だった不透明色のマーカー(ペイントマーカー)で、私はそっと「雅弘命」と書いた。

イントロがそっくり、シブがき隊と思いきやナイト・レンジャー

さて、修学旅行の話。3人で「Zokkon命」を踊って、みんなに披露しよう! ということになったが、誰が誰の役をやるかで一悶着あった。当然私はモッくんを希望したが、戦いに敗れ、ヤッくん(薬丸裕英)役に甘んじた。そこから猛練習が始まった。女子トイレや放課後の教室で、暇さえあれば踊っていた。多少人目を気にしながら。

そんなある日の昼休み、校内放送で「Zokkon命」のイントロがかかって狂喜乱舞したのだが、前奏の後まったく違う歌となった。しかも日本語じゃない。

「どうして?」と思っていたら誰かが「これはアメリカのバンド、ナイト・レンジャーの「ドント・テル・ミー・ユー・ラブ・ミー」という曲で、シブがき隊のアレはこのイントロを使ってるんだ」と教えてくれた。

「ないとれんじゃー? ゴレンジャーなら知ってるけど?」当時の私は洋楽に無縁だったから、こう思うのも仕方がない。

歌詞が気になる「Zokkon命」いま思うとオトコの上から目線?

こうして迎えた、1983年6月。待ちに待った修学旅行。旅館の部屋が私たちの舞台。マイクを模した容器に入ったお菓子を買って、それを握りながらカラオケなしで歌い、踊った。

 感動じゃん 朝まで抱きたい
 オッとっと 逃がしはしないぜ

今思うと、男の上から目線が気になる歌詞だ。シブがき隊の曲には「抱いてやる」といった歌詞がやけに多かった気がするが、いくらモッくんでも、そんな風に恩着せがましく言われたくないと思う(ホント?)。まあ、歌の主人公は十代の男子ですし… しゃあないわなぁ。

そんなこんなで、旅館の畳の上で、私たちは最後にポーズを決めて「ぞっこーん!」と叫び、フィニッシュ。

まばらな拍手が聞こえた。オーディエンスは女子が6人くらい。結局は修学旅行という非日常感の中で何かをやりたいという内輪ノリだったのだろうが、私は高揚感と達成感に満ちあふれていた。

女子中学生は非情である。本木雅弘からロジャー・テイラーへ

しかしその後、私はデュラン・デュランのドラマー、ロジャー・テイラーに一目惚れして、あっさりとモッくんから乗り換えてしまった。

女子中学生は非情である。

缶ペンケースに「雅弘命」と書いていたのはほんの3ヵ月間だった。時は流れ、54歳になったモッくんは、多才な俳優としての地位を不動のものとした。中学生のガキだった私だが、我ながら見る目があったと思っている。

物覚えのいい時期に必死に覚えたあの振り付けを忘れることは一生ないだろう。あの時に同じくらい一生懸命勉強してればねえ… 。

※2019年5月5日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: Polco/モコヲ

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