今日は5月5日、こどもの日。そこで「背番号55」が印象的だったサッカー選手を集めてみた。
長友佑都
世界で最も有名な「55」は日本代表の長友佑都かも知れない。
インテルに移籍した2012年から常にこのナンバーをつけており、日本でもすっかりお馴染みとなった。
長友はFC東京やチェゼーナ、日本代表で5番を愛用しているが、インテルには当時デヤン・スタンコヴィッチが在籍していたため、5を重ねた「55」を選んだと言われている。
サブリ・サルオール
おそらく世界中で最も長い間この番号を背負ってプレーしたサッカー選手だろう。
トルコ代表でも活躍したサブリ・サルオールは、ユース時代からガラタサライ一筋。そしてその在籍期間中、15シーズンすべてで55番をつけていた。
トルコのスュペル・リグは背番号のルールが緩く、40番以上の選手も少なくないのだが、55番を選ぶ選手はあまり多くない。
ちなみにそのサブリの55番を受け継いだのが長友である。
ブラヒム・ディアス
今季からレアル・マドリーに在籍している20歳のスペイン人FW、ブラヒム・ディアス。
“白い巨人”で21番を背負っている彼だが、前所属のマンチェスター・シティ時代は55番だった。
これは、シティの育成チーム(EDS/Elite Development Squad)の所属選手が主に40番以降の大きな番号をつけていることに由来していた。
フィル・フォデンの47番、エリック・ガルシアの50番も同様。苦楽を共にしてきた番号だけに愛着のある選手が多そうだ。
豊田 陽平
サガン鳥栖のエースストライカーとしてお馴染みの豊田陽平。
近年は途中出場で流れを変える役割を担うことが多いものの、J1へ昇格した2012年から5シーズン連続での二桁得点はクラブ史に燦然と輝く。
鳥栖の印象が強い豊田だが、2018年に韓国の蔚山現代へ期限付き移籍。この時は鳥栖と同じ11番ではなく、55番をつけた。
故郷石川県の英雄で同じ星稜高校出身の松井秀喜の背番号であったこと。また日本語でゴーゴー(Go Go)と発音することから“前進する姿勢”を表すとして決めたという。
アデ・アキンバイ
最後は、ひと味違う55番を背負った男。
アデ・アキンバイは2000-01シーズンに鳴り物入りでプレミアリーグのレスターへ加入。期待通りの活躍を見せられず「プレミア最低FW」の汚名を着せられたが、その後もイングランド2部などで息の長いキャリアを送った。
そんな彼が2002年から2003年にかけて所属したクリスタル・パレスでつけていたのが55番だ。
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5と5の間には小さな“+”。この一文字が、ナイジェリア代表1キャップを持つストライカーの気高さを物語っている。