クリニックの一室にギターの音色が重なった。
岡崎雄太(おかざきゆうた)さん(16)=仮名=が、スタッフの奏でる春の定番ソングに合わせて弦を弾く。ギターはアルバイト代で買ったばかりの新品だ。
ここは、さまざまな事情や背景でうまく学校に通えない子どもたちが過ごす「西真岡ドリームスクール」。西真岡こどもクリニックの職員休憩室を利用し、子どもたちに開放している。40歳のときにクリニックを開業した小児科医仲島大輔(なかじまだいすけ)さん(49)のアイデアだ。現在、小、中学生数人が訪れる。
「病院の中だけでは子どもの姿は分からない。集団生活での様子を見て治療に役立てたい」。仲島さんはそう考える。だが、当初は発達障害がある子どもたちの情報を教育機関と共有する難しさばかりが浮き彫りになった。
それでも粘り強く働き掛けた。昨年の春に小学校校長を退職した柳沢邦夫(やなぎさわくにお)さん(62)をスタッフに迎え入れ、学校との連携は進んだ。今では助言を求めてくる学校もある。
仲島さんがつくったのは、子どもたちが過ごす「スクール」だけにとどまらない。食品アレルギーがある子の親に栄養士が調理法を教える「きりんカフェ」、さらに学習支援の取り組みも始めた。
軽度の知的障害がある雄太さんも、そうした支援を必要とする患者の一人。昨年、友人関係のトラブルで県立高校を退学した。
善悪の判断が苦手で、例え「悪いこと」でも誘われると断れない。学校という居場所がなくなった雄太さんを終始見守ることは、家族にとっても大きな負担となった。
「クリニックでボランティアをしてみない?」
仲島さんの提案で、雄太さんは得意とするピアノを、系列のデイケア施設で弾いたことがある。「花は咲く」。東日本大震災からの復興のシンボルとなった曲を鮮やかに弾くと、集まった高齢者らが真剣に聞き入り、涙を流す人もいた。
その後も週に数回通院し、「ボランティア」で敷地内の植栽の手入れや病児の見守りをし、レクリエーションへの参加を重ねた。
2月のことだ。
「先生、あさって空いてる?勉強教えてよ」
雄太さんが、柳沢さんに学習支援を求めてきた。自分から学習支援を希望したのは初めてのことだった。
特技のピアノを生かし、子どもと関わる仕事に就きたい-。そんな目標を温めていた。英単語で埋まるノートを見て理由を尋ねると、「新しい学校に入学する前に、今までのところをクリアしておきたい」と答えた。この春、保育や福祉を学ぶ学校に進学した。
仲島さんはよく「それって開業医の仕事なの」と聞かれた。
「薬を処方しなくても改善することがあると感じてきたところ。子どもたちへの取り組みを通じて未来を想像すると、楽しくなるんです」
発信し続けるうちに同業者の見方が変わってきた。
「開業医でもそんなことができるんだ」
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医療者らがさまざまな社会資源に患者をつなぎ、病の根幹に切り込む「社会的処方」。国内ではまだ認知度は低いが、一方で先行する取り組みもある。新型コロナウイルス感染拡大により一部では活動の縮小を余儀なくされるなど困難に直面する中、これまでに県内で見え始めた「兆し」をリポートする。