バブルガム・ブラザーズ「WON'T BE LONG」はポジティブ演歌ソウル? 1990年 8月22日 バブルガム・ブラザーズのシングル「WON'T BE LONG」がリリースされた日

EPICソニー名曲列伝 vol.28
バブルガム・ブラザーズ『WON’T BE LONG』
作詞:Bro.KORN
作曲:Bro.KORN
編曲:B.G.B.
発売:1990年8月22日

真面目に歌ってヒットした「WON'T BE LONG」

日本の大衆音楽史において、主に洋楽の影響を受けた新しい方法論は、往々にしてコミックソングの顔付きをして入ってくる。

その代表は、日本版ロックンロールの原点=ザ・スパイダース『フリフリ』(65年)であり、日本版フォークソングの原点=ザ・フォーク・クルセダーズ『帰って来たヨッパライ』(67年)である。

また、言うまでもなく、サザンオールスターズ『勝手にシンドバッド』もそのパターンで、デビュー時のサザンを世間は、コミックバンドだと認識していたのは有名な話だ。

要するに、洋楽の最新トレンドを真面目に再現するのは、気恥ずかしい行いなのだ。だから、コミックソングのコーティングを施し、半笑いで演奏することで、その気恥ずかしさを避けようとする。

バブルガム・ブラザーズという人たちも、お笑い業界出身だったこともあり、そもそもがコミック性をまとっていた。

この曲『WON'T BE LONG』の作者であるブラザー・コーンは、あのねのね・清水国明の弟子だった人で、相棒のブラザー・トムは「小柳トム」として、警官コントで名を馳せ、『お笑いスター誕生』でグランプリに輝いた人。

しかしこの曲自体には、コミック性は感じられない。ブルース・ブラザーズの影響下にあるコミックユニットが、黒人音楽(に影響を受けた音楽)を「真面目に」歌ってヒットしたのだ。つまりは『勝手にシンドバッド』と『いとしのエリー』の両方が包含された構造である。

ヒットのきっかけは「オールナイトフジ」の最終回

90年8月の発売だが、ブレイクは91年に入ってから。ヒットのきっかけもまた、コミック性に富んでいる。

91年3月30日に放送されたフジテレビ『オールナイトフジ』の最終回、スタジオは深夜番組最終回特有の自暴自棄な状態となり、とんねるず以下、レギュラー陣が大騒ぎする中、この曲が何度もかかったのだ。

ブラザー・コーン本人もインタビューで「この曲を気に入ってくれていたとんねるずが、生放送なのに2回も流してくれて。その直後からフジテレビに電話が殺到して、それがきっかけでした。だからプロモーションにお金がかかってない(笑)」と語っている(Yahoo!ニュース:結成35周年バブルガム・ブラザーズ『自分の未来を曲の中で描き続け、だから音楽がやめられなくなった』より)。

あけすけに言えば、どさくさ紛れで世に出た曲とも言えるのだが、それにしては、肝心の曲そのものは、コミックソングではなく、実によく出来た「イエロー・スキンド・ソウル」だったのだ。

日本人好みのマイナーキーで歌詞は前向き、つまりポジティブ演歌ソウル

ここで言う「よく出来た」は、単に「作品としてよく出来た」という意味だけではなく、「商品としてよく出来た」という意味も兼ねている。

もっと直接的に言えば「日本でよく売れるように出来た曲」。日本人が作り、日本人が歌い、そして、黒人音楽に親しみのない、ましてや黒人音楽で踊ったことのない日本人が、ノリノリに乗れる曲。

ポイントは、その音楽性にある。日本人好みのマイナー(短調)キーで、かつ「Em→A→Bm」を執拗に繰り返すコード進行はシンプルで馴染みやすい。また音域も広くなく、カラオケでも歌いやすい。誤解を怖れず言い換えれば、演歌的な要素が強いのだ。

その上、歌詞の内容もよく読めば、KAN『愛は勝つ』(90年)や槇原敬之『どんなときも。』(91年)同様に当時のトレンドに合致した、「がんばれば夢は叶う」的なポジティブ性に溢れている。

つまりこれらの「ポジティブ演歌ソウル」性が奏功して、ブラザー・コーンの公式ページによれば「売り上げ180万枚のミリオンセールスを達成」となり、結果、バブルガム・ブラザーズは、同年のNHK紅白歌合戦にも出場する(ハウンド・ドッグの代打という形ではあったが)。

80年代EPIC全盛期の終焉を飾る、反・EPICヒット?

コミック性を帯びたユニット、テレビ番組主導のヒット(それも音楽番組ではなく、深夜の女子大生番組)、演歌性、ポジティブ性、挙げ句の果ての紅白歌合戦―― ヒットに至った要素を並べて見ると、シュっとしてツンとすました「80年代のEPICらしさ」とは全く異なることが分かる。

ちなみに、この連載「EPICソニー名曲列伝」で取り上げた音楽家のうち、当時(79~90年)リアルタイムで紅白に出場したのは、小比類巻かほるとTM NETWORK、そしてドリームズ・カム・トゥルーという、後半のたった3組のみ(91年以降は、鈴木雅之、ラッツ&スター、渡辺美里が加わる)。

そもそもEPICソニーとは、創始者・丸山茂雄が「紅白歌合戦に出る」「レコード大賞を獲る」という芸能界の競争が嫌で嫌で、歌謡曲色の強かったCBSソニーを抜け出して作った、ロック色の強いレーベルなのである。

というわけでこの曲を、EPIC全盛期の終焉を飾る「反・EPICヒット」だ、と結論付けようとしたら、強烈な事実にぶち当たった――ブラザー・コーンと「ミスターEPIC」佐野元春は、中学時代の同級生!

※ スージー鈴木の連載「EPICソニー名曲列伝」
80年代の音楽シーンを席巻した EPICソニー。個性が見えにくい日本のレコード業界の中で、なぜ EPICソニーが個性的なレーベルとして君臨できたのか。その向こう側に見えるエピックの特異性を描く大好評連載シリーズ。

■ EPICソニー名曲列伝:ドリカム「笑顔の行方」にみる中村正人 “下から目線” 作曲法
■ ドリカム「うれしはずかし朝帰り」から始まる “シン・EPICソニー” の歴史
■ EPICソニー名曲列伝:佐野元春「約束の橋」が与えてくれた肯定感について
etc…

カタリベ: スージー鈴木

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