天皇皇后両陛下行幸啓記念碑が完成しました。

令和2年5月11日
静岡県袋井市

天皇皇后両陛下行幸啓記念碑が完成しました。

袋井市にとって歴史的な出来事となった平成30年11月27日の天皇皇后(現、上皇上皇后)両陛下行幸啓(私的御旅行)の足跡を、広く市民等に周知し、メモリアルとして形に残すことで、浅羽佐喜太郎公の功績とともに後世に伝えていくため、当日訪問された次の2箇所へ記念碑を設置しました。

1 常林寺
(1)所在地 袋井市梅山132
(2)規 格 御影石(黒) 幅230mm×奥行230mm×高さ1,700mm
(3)完成日 令和2年3月23日
(4)その他 土地は常林寺から無償で借用

2 袋井市郷土資料館・近藤記念館
(1)所在地 袋井市浅名1021 近藤記念館 入口前
(2)規 格 御影石(錆:茶系)幅390mm×奥行200mm×高さ1,500mm
(3)完成日 令和2年3月26日
(4)その他 ・浅羽佐喜太郎公碑建立100年記念事業実行委員会と共同で設置
・近藤記念館、郷土資料館にて、行幸啓及び浅羽佐喜太郎公とファン・ボイ・チャウの交
流に関する常設展示を行っています。
※浅羽佐喜太郎・・・袋井市出身の医師(1867~1910)
※ファン・ボイ・チャウ・・・ベトナム独立運動の指導者(1867~1940)

<浅羽佐喜太郎公紀念碑建立エピソード>
浅羽佐喜太郎公紀念碑は、かつてフランスの植民地であったベトナムの独立運動指導者ファン・ボイ・チャウが、自分たちのために私財を投じて援助してくれた浅羽佐喜太郎に対し、追慕の思いとベトナム独立の悲願を込め、1918年(大正7年)に東浅羽村の人々の温かい支援を得て建立されたものです。
浅羽佐喜太郎は、小田原に開業していた浅羽医院の一室をファンらに提供し、彼らの活動に対し経済的援助をはじめ、さまざまな支援を行いました。
しかし、フランスの弾圧は厳しく、日本政府はベトナム人の国外退去を命じ、1909年(明治42年)にはファンも日本を去ります。翌年、佐喜太郎は43歳の若さで亡くなり、二人は二度と会うことはできませんでした。
1917年(大正6年)ファンは密かに日本を訪れ、佐喜太郎の死を知ります。翌年、彼は、浅羽家の墓所のある梅山の地に石碑建立のため訪れ、東浅羽村村長の呼びかけに応じた村人の協力を得てこの記念碑を完成させました。